見出し画像

誰も知らない

先日、初めて息子のアルコール依存症の相談に行けた。
ずっと予約が取れなくて
やっとやっと取れた。
もっと早くに知っていたら
そう思ってる。
せめて2年前に初めて救急搬送されたあのときに知っていたら。。
そんな風に思うけれど仕方ない
あの頃はまだ、なんとかなるんじゃないかと思っていたから。


子供とは別々に個別に相談を受けた。

冷たい雨が降る中
わたしの車で向かったのだけど
息子が乗り込んだ途端
車内が既に酒臭くて運転しながら気が滅入る。
それでもまだ言ってくれるだけ
マシなんだろうなと思う

着いてすぐ問診票みたいなものを渡されて
書き込んでしばらくして
担当の方が来た。息子と別れて別々の部屋に案内されて
これまでのこと、生育歴やわたし自身の家庭環境など細かく訊かれた。

今まで、カウンセリングを受けたことはあるけれど
ここまでわたし自身の家族構成から環境までを話したことはなかったと思う。
大体のことを話しただけで、
ゆうに1時間はすぎてて
担当の方が、「なかなかまとめられなくてごめんなさいね」って言ってた。
自分の生きてきた今までを自分で話して
なんか、幸せだと心からホッと感じた時って
一体どれだけあったのかな?なんて思う。
「先生、今日も飲んでるから酒臭くて」
そう言ったら
「あ、飲んで酔いが回ってる状態がね
普通なんですよ依存性は」
そう言われて納得した

ああ、だから呑んでいないときの方が
イライラして、まるでヤ○ザのような顔つきになるのか
なんて思う


「今まで本当に大変でしたね」

そう言われて

改めて

そうなのか。。自分はやっぱり
ずっと大変だったんだな

そんな風に思ってた
それに、今まではアルコール依存症の本当の恐ろしさや
当事者に振り回されている人の地獄のような日常を知らない人からの「大変だね」
は、「共感されたところで
どう大変か、何がどれだけ大変かなんていうことまでは、どうせわからないんだしな」

そんな風に諦めてきた感じだったから
話した人の中には
ここぞとばかりマウントしたり
話しながら「あーわたしはこんなじゃなくて良かったあ」っていう心の声が聞こえてきたりする人もいたし

そんなこんなで、友人とも連絡する気にもならずにいるうち
気づいたら友人と言える人は一人もいなくなってた。




わたしの亡くなった父も、離婚した夫も夫の父も
アルコール依存症だったけれど
振り回されてた家族は
わたしには
「人生を諦めて暮らしている」ように見えた。

嫌だけど仕方ない。

そんな風に見えた

わたしは子供の頃から
母が心の底から幸せそうな笑顔でいる姿を
見た記憶がない。

酔った父に、暴力を振るわれても
決して泣かない強い母だったけれど

満たされて幸せそうな笑顔もない母だった。

だけどそれが今の
疲れ切った自分と重なって

負の連鎖
世代間連鎖ってすごいよなって思った。

カウンセリングで経緯を話たからって別に何も解決はしなかったけど、、、

とりあえずは、家族の苦しみを理解しようとしてくれる場所が見つかったんたなって思ったら

それだけでも少しホッとした。


カウンセリングで
アルコール依存症の家族の会を教えてもらって、家族の勉強会も参加してみることにした。

参加てみたけれど

そこでわたしは意外にも

物すごいモヤモヤを抱えてしまった。

依存性について詳しく知れば知るほど

今まで、いかに自分が良かれと思ってしてきたことが、

息子を追い詰め、
逆に依存を悪化させてきたのかとか

アルコール依存性に陥ってしまった人の大まかな
辿る未来の道筋や寿命、抱えやすい精神疾患などのデータを見て
知るほどに落ち込み
ああ。。もしかしたら、息子はわたしより
早く死んでしまうのかもしれないんだ
今のわたしと同じ歳までは
生きていられないのかもしれないんだ
そう思ったら悲しいのと虚しいのと
罪悪感と
言葉にはならない気持ちが込み上げた

更に、コミュニケーションについても
学んで
今すでに散々、苦しみを味わってるのに、さらにこれから我慢して、感情をグッと堪えて
言葉掛けを一から変えてって
新たなストレスで
わたし自身がどうにかなってしまいそうだと
帰り、ひとり運転しながら
泣いてしまった。

「一体、同じ苦しみを抱える他の人たちはどうやってこんな日常を生きているんだろう?」

そんな風に思う。

依存性の問題は
依存性そのものだけじゃない
貧困も絡んでることが多いし
発達障害が絡んでることも多いと思う。

例えばうちは
息子が借金を重ねて
返せず膨らみ続けてる

借金してまでアルコール飲まずにはいられない
それが依存性。

さらに、働いてもいないから
入院費が払えない。

そういう諸々のことが
身元引受人である母親のわたしに掛かる。

「いっそのこと、わたしも働けないくらい
潰れちゃえば良いのかもしれないのにね」

カウンセラーに言ったら

「そんな。。」って言ってたけど

これは本音だ。

いつもいつも、わたしがなんとかできちゃうから
綱渡りのような生活が成り立ってきたけど

その綱がプツンと切れるか、わたしが綱から落ちるかすれば
あっさり公的な支援も入るのかもしれないじゃないか

そう思ってる。


わたしが何度も何度も繰り返し思うこと

それは

依存性本人にばかり注目が集まってしまうし
本人に支援が行きがちだけど

その背景には
壮絶な苦しみを抱えながらも

それでも生きるために
生活を支える家族がいるということ

そして、そんな家族に対しては

「そうしたのは家族だろう」

「そう育てたのはあんただろう?」

「家族なんだからなんとかしなよ」

って

冷ややかな言葉と視線にさらされて

更に傷ついている人たちがいるということ。

そして

そんな状況って別に他人事でもなくて

ある日
どの家庭にも起こる可能性はあると言うこと。


アル中の父を持ったアダルトチルドレンの
わたしが


アル中の父をもつアダルトチルドレンの夫と結婚して
立派なアル中になった夫と離婚して

アダルトチルドレンになって
若くしてアル中の息子と暮らしてる日々

そんな体験から感じること
わかったことを
正直に
これからも自分のために
少しずつでも綴ってみようと思う。





最後までお読みいただきありがとうございます



いいなと思ったら応援しよう!