あっちとそっちをやってまん中を探る~体験~2
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使命に素づいたキワキワの選択をいきるなかで、いったん脇にpauseしていた生命をわかちあった家族との調和。自ら興した革命に、最前線で身を投じゼンタイを揺さぶる中でかなりカラダが荒んでしまっていた日々。
ここにきて再びイノチが断末魔の悲鳴をあげた。
子ども達が味わってみたい、そんな風に感じているふうなので、
いま、なんとなく、じぶんの人生になかったトコロをやってみている。
いまだ地球でわりと選ばれがちな「そう」でないやり方、在り方、
いまのページのめくり方の体験を過ごしてみている。
我が家流の本質的やり方、在り方がどれほど生命に従順で、源のチカラと伴にあることか、たぶん我が家にとっては、三人にとっては当たり前すぎで、有難みをかんじられなくなっっちゃったんだろうな。。
あるもの、持てるもの・ことは、あたりまえすぎて視えない、感じられないということなのだろう。
わたしのイノチが悲鳴をあげて、向かえないタイミングでそれがやってきていること、それじたい既に必然なのかもしれない。
ちょっと斬新で、新鮮で、なんだかくすぐったい、「そう」やり続けたことはほとんどないから。
じぶんのこころの声、身体の響きに従って、いまを選んでいきること、そのpointは、それぞれにとってどうなのか、ドレなのか、ドコなのか。
その在り価の探りなおし、点検作業を暫くやってみて、体験をたしかめあい、気づきあい、想い出しあい、答えを合わせあっていこうと思う。
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