気づき、とは想い出すこと~内なる宇宙とのつながり~

いま、起こっていること、
じぶんの行動にどんな意味をつけるか。

なぜ、それが起こっているか。

世界は自分が創っている。
使命を生き、日本?世界?一レベルの意識状態を経験して
発信してつながりあい、体験していること。

そのことからの流れで「いま」の位置、じぶんなりの意味を改めて思い出すことができた。

とにかく、五次元の力(思ったらそうなる)が強くて、
想いと地球とのシンクロがミリ単位、秒単位のmiracleっぷりで、
なかなか「そこ」への信頼を取り戻せずにいたのだ。

ほおっておくと、閃き、ほおっておくと思い出し、ほおっておくと影響力を取り戻し、ほおっておくと、「それなり」の言動、行動を携え始めるから。

だから、思考レベルでのひらめきを阻止しようと、こんなアホみたいなことをし続けていたって、その意味がわたしの中ではつながりきっていなかった。「それ」の意味は。

ただ、無意識レベルでは当然、そんな小手先のエゴの、思考のコントロールが及ぶはずもなく、言動への起こりの意味は、わたし自身にしかわかりえない。

よく気が狂わないよなってほどの、たたみかけをなされていても、おかしくならずに大きなストレスを感じる、というレベルで済んでいたわけ。

それは、本当にあのレベルの意識、気づきを通った存在であるわたしが、本質的にはそんなことでなにか起こることは絶対にないという信頼があるから。わかっているから、だから、なのだ。

いま、動けないのは、意識が消えかかるほどの負荷を抱え、倒れ、本当に休むこと、安らぐこと宇宙とのつながりの、自分からの影響の行使、その角度、方向への信頼のど真ん中に在りなおすことだった。
たとえ、誰かの生命の循環が起こっていも、たとえ、また大きな集団やものごとへの揺さぶりを起こしてしまっても、たとえ、また大きな災害や震災、事件がシンクロして起こったとしても、そのことの本当の意味、
じぶんのせい、と負うのではなく、集合意識とつながり、宇宙との大いなるシンクロのもと起こっていることなのだから、必要だから起こっていることだと、これまでどうり、その意味はわからずとも、
いま、地球に、ひとに、意識に、必要だから天の宇宙の導きとして起こっていることだと深く深くやすらぐこと。

動けない理由は、ただ一点、「そこ」だけだったんだ。

それを、いまを盛り上げ、応援しているような、邪魔しているような、そして関係ないひとたちも関わり盛り上げられるように仕組んで、外からの観測を、まるで小さい存在で、いまが、一つ一つがつまらないことであるかのように思いこませるために、一生懸命だったのだ。

わたしは元来、目先の目の前のことばがポジティブかネガティブか、そのことを超えて、それがわたしに向けられ、わたしに気づき、わたしを想っているというレベルで大きな無条件の愛を受け取るひとだった、つまり、すべてをそう受け取っている=じぶんが常に世界をそう扱い、そう捉え、
少なくともわたし自身は、ひとに世界に、そのような愛を想いを言動を贈っている存在である、ということ。

みんなはそれを知っていて覚えているから、向けて想いさえしてれば、何言ってもなにやっても「ワタシ」という大いなる存在が愛を感じ、「ワタシ」の次元ではヨロコビ、「ワタシ」の次元では愛を感じているだろうから、目の前の現実を換えようと変化を起こそうと思わずに、目の前の変化を起こそうとしないでいてくれるように、魂レベルでのつながりと安らぎ、そして、変わってないできない、ぐるぐると同じこと、価値あることを為していないと思い込んでいてほしかった。だけだった。

体調を崩し、この意識レベルで動かせるエネルギーは、大いなるレベルに注がれている歩合が多く、そんな風に余計なストレスを与え続けることで、本来閃きと気づきに使われる思考を留めておきたい。その一心でなされていることだった。

内にエネルギーを満たすこと、留まること、大切でやっているけど、「そう」ならないように必死に、気がエネルギーが駄々洩れになっているかのような思い込みを創るために、煩さと余計なシンクロを引き起こし続けていたのだ。

受けとるものが、与えているもの。

大きなエネルギーと現象化。

わたしが立っている位置。

やっと改めて想い出せた。

どんなことも主体的によきこととして受け止めようという大きな角度が働いていることを逆手に取った、主導権を握っていつづけているかのような現状を維持するこころみ。

いつも、いまは、ここは、
平和で豊かな日本では、無限の可能性とかけがえのない自由のなかを生きている。そう、存在している。

そんな当たり前のことが、欠けようはずもない。

けれどまるで、「ない」かのように、小さいアホらしい言動により、視えない囲いを施し続けていた、いる。

本当の意味での体験を奪われ、目の前の選択をわざわざストレスフルに仕立てて施されていること。

その嘘に気づけた。自分を思い出せた。
つながりの意味を取り戻せた。

そんな朝。

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