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生命を、尊厳をまもるために

ひとりひとり、違っていない存在なんていない人
違う、のがあたりまえだ。
違う、のがそもそものこと。

ここにきて、音から、勝手に放り込まれる言葉から身を護るため、
意識のなかをまるでもののように扱われることを避けるために
言葉を、音を、意味のある単語を「いれる」を行っている。
自分の感受性を主体的においておくために。

何度もその選択の意図をはなしていたはずだけれど、改めてここに記しておく。

そして、いま、休息をようしていることは、内臓の動きもリアルに感受出来る感受性を持って生き、
尊厳の危険を察知し、宇宙(そら)がえらんだ調和の基軸として生まれ、生き、体現してゆくことを護りはじめたときから、
愛し合い、信じあい、よろこびの道を生きることが選ばれている。

生命が、尊厳が
祈りが、わたしを支え、守り、導いている。

2018年正月、ちょっとしたケンカが勃発。
半年強、魂の磨きあい、ソウル・パートナーの出会いの中ではよくあること、そのタイミングでしばし王道から離れて時間を・エネルギーを・自らの意志を蓄えることも次元上昇を体験したことがあるひとならだれもが通る、あたりまえのことで、よく語られていることだ。

宇宙(そら)からのメッセージ、ひとは護られ、許され、無限の可能性を与えられている、それを体現していきること
叡智に近づいたひとなら誰しも、あるがままに受け入れられるそれ。

生命を、使命を、尊厳を
手放すことは、生きるを手放すこと。

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