見出し画像

INIは温かい毛布のように

INIに夢中になった日々の記憶を鮮明に覚えている。

鳴り止まない電話とFAXの受信音、タイピング音の中を抜け出せる休憩の1時間、会社を飛び出て、都会にあるわずかな川の近くのベンチでYouTubeをひらく。決まって見るのは同じ動画で、その1時間がわたしのわずかな光だった。

新卒で入社して1年目、朝起きるのに必死、満員電車でぎゅうぎゅうづめになり、職場ではミスをしないように、先輩に怒られないように、できるだけ笑顔という社会性を身につけた。そんな自分をきらいになりながら家に帰る日々にひどく疲れていた。帰路すらもきらいになりそうだった。

でも、同期とご飯を食べる時間は大好きで、同期のことも大好きだった。ある1人の同期の子が、INIの藤牧くんが好きで、とにかくINI見てみて!Leminoでオーディションも見れるから見て!と言う。わたしはその時期、大好きな読書も映画鑑賞もたのしいと感じなくなっていたから、いつか見るねー くらいの感じだった。

ある冬の金曜の夜、次の日は休みだし帰ってLeminoを開き、日プ2を試しに見始めた。
リアルタイムでは、藤牧くんの「花束の代わりにメロディーを」と、西洸人くんのことは、ちゃんみなのバックダンサーだったというツイートを見ていて軽く知っていた。けれど、2人がデビューしたかどうかはつゆ知らず。

オーディションってもっとバチバチしているのかと思っていたけど、彼らは一緒に上がろうと声を掛け合い、違う道を行くかもしれないのに、手を差し伸べあっていた。夢を見つけた人、夢を再確認した人、夢の難しさを知る人、夢とは何かを考える人、みんなわたしにとってはまぶしくてすこし羨ましかったな。

最終順位発表の前に、課題曲のLet Me Flyを踊っている動画がYouTubeにある。その動画で忘れられないのが西くんだった。


バックダンサー経験のある彼のダンスはもちろん上手くて、
加えて、一緒になったグループの中ではダンスを仲間に教えている場面も印象的だった。レコーディングが上手くいかなくて「変だった」と涙を流し落ち込んでいるメンバーに、「変じゃないよ!かっけー声しているんだから」と、側に寄り添っていたのが西くんだった。そんな西くんが踊ったレミフラは、踊ることがたのしくて仕方がないという気持ちが伝わってくるし、完全に目を奪われてしまったのだ。

好きなポジション(ボーカル・ラップ・ダンス)を選び、グループ内で順位付けが行われるポジションバトルでは、得意なダンスではなくラップを選択していた。できるものを選ぶのではなくて、やったことのないものに挑んでいく彼のひたむきな姿勢にあれよあれよと夢中になった。

ああ、この人の表現は力強さのなかに繊細さがある。くるくる変わる表情は自然派生のものもあれば、瞬間瞬間に合わせた表情を研究しているように思えた。
西くんの曲はじめ5秒はいつも、たましいだ。オーディションでの西くんのステージングはいつも不安も想像も超えてきて、たのしくて。彼の表現が好きだ、と思った。

オーディションを見終わると同時に、INIの11人のメンバーを知ったわたしは、西くんにいざなわれて完全にINIの入り口に立っていた。
バラエティも、映画も見れないはずなのに、INIのYouTubeを見れば笑える。
冒頭でも少しだけ触れたが、仕事の休憩中にずっと見ていた動画はINIのHANA_花という曲のpractice動画。

INIにハマった今でも、INIで一番好きな曲を問われたならばHANA_花と答える。疲労困憊で、何のために働いているのか、生きるために働いているのだとしたら、生きているのが辛いって思うことは正しいことなのかが分からないくらい限界だったので、

君はずっと美しい
ありのまま いてほしい
もう隠さないで自由になって咲き誇って

「HANA_花」 歌詞より

休憩になると、川の近くのベンチでこの歌詞を聴きながらなんとか「生きること」を保っていたと思う。もう辞めようかな、辞めた方がいいかな。そんなことを考えながらも、INIのダンスを見たり、ひとりひとり顔と名前を覚えようとしていた休憩時間は、安心を許されている時間だったことを今でも忘れられないでいる。

とはいえそんな日々は長くは持たず、残業はどんどん増え、年齢の近い先輩が退職していき仕事量が増えた。朝の満員電車で腹痛になることが増え、朝起きて涙が止まらなかったり、動悸や息苦しさで過呼吸になり、電車に乗れなくなった。病院に行き、診断名が付いた。休職の末退職した。

自分が苦しくなってしまう職場という環境から距離を置けたことは良かったけれど、車や電車のような乗り物に乗るとパニックぽくなってしまう。またパニックになったらどうしようという極度の不安から、外出することもままならなくなってしまった。家のベットで天井を見るだけの生活が辛かった。

そんなときでも、なんとか身体とうまく付き合っていく決心をして、生きるために楽しませてくれたのはINIだったし、INIと出会っていなければ今頃どんな生活だったかな、と思うくらい彼らに寄りかかっていた。ぼろぼろのわたしに彼らは温かい毛布を掛けてくれた。

主にINIフォルダで笑ったし、映像を見るのが辛い日は毎週金曜日25時から2時間放送されるFrom INIという彼らのラジオ番組をAuDee(全ての回がアーカイブされていてすごい)で聴いて、彼らが一日を楽しませてくれた。心の回復のために、いっぱい休んだ。たくさんINIのYouTubeを見て、ファンクラブも入って、メンバーからメールが届くプライベートメールも取った。

おかげでベットがら起き上がるくらいに回復し、外出も楽しめるようになった。
電車に乗るときは、発作が起きないよう、おまもりみたいにアクスタを忍ばせたり、大好きなフロイニのおざまき回(♯5)を聴いた。そうしたら面白くてなんだか力が抜けて、発作が起きることなく電車に乗ることができた。
INIのコンテンツ、CDリリースが楽しくて、まだまだ生きなきゃだめじゃん!と思えるようになった。INIに延命治療をしてもらったと、勝手すぎるけれど思っている。

家でベットで横になっているときは、もう元気になれないのではないかという不安と絶望のなかにいたのに、今ではまた友だちと外出をたのしんだり、車で好きなところに行くこともできる。お仕事もまた再開することができている。

INIはやさしい。面白いのに、人が傷つくような笑いの取り方はしない。MINIのことをとても大切にしてくれて、INI自身がINIを大切にしているところが大好き。
メンバーの良いところは声にだして褒めるし、誰かの個人仕事があったとしたら応援する。
「僕が風になって押すから」「大丈夫 笑ってよ ここにいるよ」
頑張れとは言わないけれど背中をさすってくれるような歌をプレゼントしてくれる。
彼らの醸し出すしあわせなオーラは、安心を与えてくれる。

人の苦しみや痛みをわけあうことは むずかしい。
もし、これからまた自分がすり減るくらいに苦しむことがあっても、どうするかを決断し、どう行動するかを決めるのは自分しかできない。
人と関わる以上、きっと傷つけられることも傷つけてしまうこともあるだろう。

でもなぜ今わたしが生きていられているかって、
傷口に絆創膏を貼ってくれて、
温かい毛布を掛けてくれたINIと出会ったからだ。

痛みをわけあうことはむずかしくても、傷ついた人に絆創膏を貼ること、
心が凍えている人に毛布を掛けることはできる。
これはINIがわたしにしてくれたこと。わずかの安心の足りない日々に、安心を運んでくれた。

INIに出会って、やさしさを浴びて、わたしも大切な人に温かい毛布を掛けられる人でいたいと思うようになった。そんなことに気づけた今の自分のことが好きだし、今までの選んできた人生だって間違っていなかったと思える。

10THINGSの歌詞を借りるのであれば、
INIに出会えて明日が好きになったし
昨日だって好きになれたんだ。

ほんとうにありがとう。
INIのことが、大好きです。









いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集