見出し画像

ジャズと「私」の、明確な哲学の違い

割引あり

 今回は「即興性を愛する/愛さない」とか、「自力演奏を好む/好まない」といった部分の話は無しです。

 私は別に「クラシックを愛して」はいないんですが、ジャズと敵対するとどうしてもクラシックに与するような形にはなるんで、仮にそう見えてもそう思わないで欲しいです。

“単一楽章で” ね。私には「曲を長くすること」が一番できません。
あとクラシックの1曲(1楽章)は、10分と言わず30分とか超えます。は?

 私は「音楽一般」の味方です。そしてそれは西欧音楽の内部では、ジャズよりかは、ポップス…とクラシックに近しい立ち位置になります。
てか ジャズが遠すぎるだけ です。事実「ジャズの癖が強すぎる」んです。

――「音楽理論は、クラシック系とジャズ系の2種類しかない」的な物言いがありますが、騙されないで欲しくて、「普通のポップスやロックが作りたいならば、“クラシック系理論の改変物” の方が遥かにノーマルな選択」です。
 これは「和音の基本を三和音に戻し、かつコードスケールの話を除外した “ポピュラー音楽理論”」と表現して、概ね一致します。――

ドリアンとかミクソリディアンとか(後編)」より。

 なのに「ジャズ特有の哲学」に端を発する「ジャズ特有の理論」が、さも「最新の(あるイミ正しいが)音楽の捉え方」、ましてや「基本の音楽観(これは欺瞞)」みたいな顔をしてることだけは看過できないので、

 今日はその「癖の強い趣向」について、白日の下に晒します。

『  “ポップス” ではコードは四和音が基本です。 』

この言説を許すな。

 私が「コードスケール・ジャズに “入信” する」とかいう過激な言葉を使うのにも、それ相応の理由があります。



「大トロ」あるいは「猫跨ぎ」

 かつて江戸時代まで、マグロの「トロ」の部分は、廃棄されていました。
猫すら食べようとしない、「猫またぎ」なんて呼ばれていたそうです。

 以前のおさらいですが、歴史上のあるタイミング以降、ジャズでは「コードは 7th まで積む」ことに、なっています。四和音(tetrad)が 前提 です。

 この「歴史上のあるタイミング以降のジャズ」のことを、それ以外のものと区別するため、以降「コードスケール・ジャズ」と呼称します。
 しかも略して「CSジャズ」とします。よそで通じません

この世で私しか呼んでません。注意して下さい。
なお「CSジャズ」以外のジャズに対しては、私の立場はフラットであり、今回のトピック外です。

 めっちゃざっくりまとめると、「(音楽的文脈に頼らずコード単体だけで、その(TDS)機能がハッキリしていて欲しい」…というメンタリティに育つようです。(CS)ジャズに染まりきると。

 機能とは、具体的には「ドミナント(途中)」か「トニック(一段落)」です。もう一つの「サブドミナント」という奴も(多分 流れで)現存しておりますが、「tetrad が良い」理由に関しては、「ドミナントか否かだけはハッキリして欲しいから」であると受け止めることができます。

クラシックの歴史上、調組織の TDS をそれぞれ代表すると認識されていたⅠ、Ⅴ、Ⅳ の和音は、triad の状態であると全てコード・クオリティ(以降「C.Q.」)が同一。(短調組織での話は割愛)
tetrad まで積むことによって、Ⅴだけは「ドミナント・セブンス」として自明に弁別される。

イコール「tetrad になった所で、『Ⅰ か Ⅳ か』は、C.Q. のみからは依然として判別不能」。
(=『調』という文脈に依存)

(ゆえにジャズでは「S の体現として Ⅳ よりも Ⅱ を選択」することによって、
TDS(もといディグリー) を C.Q. に一対一対応させた一面があるか?要検証。)


 という感じで、CSジャズの世界観では「コード単体でも機能が分からなきゃ嫌」というメンタリティ……なのだと思われるのですが、
これ、よそから見りゃ酷い好き嫌いなんですよ。(前述 ”癖が強い” の中身)

 「C.Q. だけではハッキリしない機能で上手に遊ぶ・そこを味わう」のが、CSジャズ以外の西欧音楽なんです。「そこ」を醍醐味と受け止めるんです。

いらすとや 様より。

 人それぞれですが、「転調でアガる」人は、自覚が無くとも「この感性」で音楽を味わっている部分があると言えます。

転調の意味を分からずに雰囲気で転調転調 言ってる事例もあるので、責任は取れません。

一方で(CS)ジャズの方法論は、転調を愛した結果、
裏腹に「転調の旨味を極限まで薄めてしまった」
と評せます。次回・後編で詳述

 もっと言えば、クラシックで評価されてきた作曲家は「文脈の魔術師」、もとい「調性の魔術師」であると評価できます(無論それだけではない)。

 そして(古典)和声法は、表面的には「古典派ごっこの手引き」ですが、私が思うに、本当に枢要な部分は「(C.Q. だけでは)ハッキリしない和音の機能感を、音遣いの工夫によってコントロールする技術の探求」です。


 何度か「CSシステムは、古典和声法の読み替え(縦読み)の産物」であると描写して来ましたが、この「和音機能への向き合い方」の点で、CSシステムもとい、CSジャズの趣向は、それまでの和声法と酷く一線を画します。
 それは「進歩」であると手放しに喜べるモノであると言うよりかは、情趣の喪失です。(単に私が古い人間なのかもしれません。)

 両者を「自然な連続体」と見なしたり、CSシステムを「古典和声法の純粋な進化先」であると見なすことは、文化的営みとしてあまりに雑です。
なんつーか、ヒトの情緒を捨ててます(捨てたい人なら別にOK)。

一方で私は「市販のボトル入りの」「冷たい」「ミルク無しの」紅茶をよく飲む。
イギリスの人々からすれば、とんでもない “情趣の喪失” であるかもしれない。

絵は いらすとや 様より。



私がたしなめたいのは「ジャズマン」ではない

 まぁ「癖が強い」というだけの話であって、音楽の趣味だって哲学だって人それぞれで良いんです。私が心からそう思っているというのは本当です。

 同じ趣味や哲学を有している人同士で集まるのも、悪くないことだと思います。そうすることによって、一人では難しい音楽を作ることができます。

 再三になりますが、私が看過しがたいと言っているのは、「そのジャズが(自己分析を怠り、自身を相対化せず)西欧音楽のスタンダード面してる」という一点のみです。
 しかしこれは、「ジャズ屋の態度や主語がでかい」とかの問題に終始するものではなく、(仮に実際にそうであろうが)むしろそこに帰着させるのは的外れです。

天才にしかできない音楽なんで、変わり者(意味深)が多いのは事実だと思いますが、
それは個々人の問題に過ぎません。私個人が(接点も無いどこかの誰かに対して)口出すべき
問題じゃない。その自重は私にもできます。

画像は いらすとや 様より。

 自身を見直すべきは、音楽理論屋です。
「ジャズ理論(CSシステム)= 誰もが知るべき音楽理論」だと思い込んでるのは、あまりにも偏向的です。教育者面できません。
(あるいは純粋にトランスヒューマニストなのかもしれない。)

証拠は私です。
そして「和声法思考よりコードスケール思考の方が分かり易い」という意見があるならば、
それはマトモな教育者がこの世に居ないからです。

――スケールスケールばかり言う他所のチャンネルは、これら ※ の勉強と研鑽が 1 0 0 % 済 ん で か ら フォローして下さい。――

この記事で言っている「音楽一般」の勉強。

【初心者向け】コードをやや覚える」より。


ここは再三 綴ってきた通り。レッスン来い
だからジャズは、スタンダード面 “させられている” ある種の被害者かもしれない。

 教育としてジャズ(という名の “CSジャズ”)の話をする時は、
西欧音楽という狭い世界の中でも、とりわけいかに限定的な趣味の分野であるのか」を前置きすべきです。

 「限定的」と言うのは、前述の通り「調性に対する特異な向き合い方」であり、「機能の曖昧さを楽しまず、排除する」という習慣についてです。

何をすると「この習慣を肯定している」ことになるのかと言うと、
「コードは、四和音が前提」だと信じることで、そうなると言えます。


 無論「郷に入っては郷に従え」で、「CSジャズを修めたい」という目的が明確であるならば、戦略として「CSジャズを修めた人の話から勉強」するのは、合理的かあるいは普通だと思います。
 当の私だって、ジャズについては長い長い勉強中です。15年以上 研究観察しています。はっきり言って、私にジャズの素質は無いんでしょうね

 「ジャズではコードは四和音が基本です」。
この一言が、いかに宗教色の強い勧誘であることか。
 それを理解していない人の話を、スタンダードやデフォルトだと思ってはいけません。思うのは、損です。

 「今後、CSジャズ以外やらない」のだと言うのならば話は別ですが、狭い世界の常識を最初に常識だと学んでしまうと、その外の世界の常識を新たに飲み込むのに、苦労や苦痛が伴うでしょう。

 これをまた「“ポップス” ではコードは四和音が基本です」のように、すり替えて言ってしまう人間の多さよ。
適切に 深く考えない人が多いから訴訟されないだけで、純粋に嘘だからな



クラシック和声の「三和音を基本」の意図

 クラシック和声法が「三和音を基本」とする理由と、ジャズが「tetradを基本」とする “事情” は、同じではありません。
 というかジャズのは「理由」じゃなくて「事情」と呼ぶべきでしょう。

 (※ “事情” =「機能の曖昧さを楽しまず、排除する」)

ここから先は

2,742字 / 3画像

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?