【ヨガ小話】ひとりひとりに与えられた役割がある
Radhe Radhe
こんにちは、hisaeです^^
いつのまにかパリオリンピックが始まっていて
気付いたときには終わっていました。
(オリンピック終わってからもう1ヶ月近く経ってるのこわすぎ…笑)
みなさんどの競技やどの場面が
印象に残っているでしょうか?
私は
ちゃんとみたのはバレーボールくらいで
あとは朝のニュース番組でハイライトをみるくらいでしたが…
歳をとったのか
涙腺が弱くなって
朝のニュース番組のハイライトで
毎朝ぼろぼろ泣いていました。笑
スポーツって
なんであんなに感動するんだろう。。
勝っても負けても
どんな結果であっても、
なにか目標に向かってがんばっている姿は
とっても魅力的で美しいなと思います。
そんななか、
前回、2021年の東京オリンピックのときに感じたことを
ふと思い出しました。
当時、
男子バレーボールをみていたときに
大学の時に近くで見ていた同年代の選手や
私よりもっともっと年下の選手が
たくさん活躍している姿をみて
自分はなにをやっているんだろう
自分にはなにもない
と、
何者にもなれていない自分に
ひどく落ち込みました。
いま思うと、
めちゃくちゃ努力を重ねて
あの舞台に立っているひとたちと
自分を比べるなんて
烏滸がましすぎるし、失礼にもほどがある。笑
比べるとしても対象を間違えているんだけれど。
当時、
勤めていた会社で
転勤や部署異動、会社の方針変更など
立て続けにいろいろなことが重なり、
仕事の「やりがい」がわからなくなっていて
なんのためにやっているのかわからない仕事で
なんとなく毎日を浪費していた自分にとっては、
自分の好きなことや得意なことで活躍している
キラキラしているひとたちががまぶしくて
うらやましくてしょうがなかった。
本当は
誰にも負けないものが欲しかった。
特別な存在になりたかった。
好きなことを仕事にしたかった。
でも
現実と理想は全然違っていて、
なにも持っていない。
なににもなれていない。
なにもできていない。
そんな自分が許せなくて、大嫌いで。
「自分には価値がない」って思ってた。
でも
いまなら思う。
そんな
『特別』だと思われるすごい人は一握りなのかもしれない。
世界で活躍したり
自分の好きなことや得意なことで食べていなくたって
特別な存在じゃないからって
自分に全く価値がないわけじゃない。
私たちには
ひとりひとりに役割が与えられている。
家庭や職場、地域、いろいろな場面で
それぞれ役割が与えられている。
それは
大きな役割ではないかもしれない。
特別な役割ではないかもしれない。
すごい役割ではないかもしれない。
もしかしたら
目立たない地味なことかもしれない。
誰でもできるようなことかもしれない。
本当はやりたくないことかもしれない。
だけど
どんな役割でも、
家庭や会社、社会が上手くまわっていくために必要なものだから
その役割は存在している。
その役割は
絶対にこの世界になくてはならないものだ。
そして
不思議なことに、
その役割というものは
自分の成長に必要なものがいつも与えられている。(それが「そうだった」ってわかるのは、いつもずっと後のことだけど。)
それぞれの役割に優劣や上下はない。
自分と他のひとの役割を比べる必要もない。
大事なのは
役割の『大きさ』や『特別さ』、『すごさ』なんかじゃなくて、
いただいたその役割を
大切にしながら
どれだけ一生懸命に取り組んでいけるかなんだと思う。
「役割がある」って、
それだけですごいことだし
とてもありがたいことだ。
それが
どんなことであったとしても、
いま自分の目の前にある役割を果たしていく。
どんなものであっても
与えられているのだから大切にしていこう。
自分の役割に
一生懸命取り組むその姿は
きらきらしている。
そして
自分では気付くことのできないその姿を
見てくれていて、教えてくれるひとは
絶対にいるのだ。
それでは
みなさまの1日が、今日も素敵な1日になりますように。
Radhe Radhe.
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