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【ヨガ小話】『命』の大きさはみんな一緒


Radhe Radhe
こんにちは、hisaeです^^


みなさん
『命(いのち)』という言葉を
ニュース番組や会話、日常生活の中で
耳にすることもあるのではないでしょうか?


辞書で『命(いのち)』という言葉を調べると、

① 生物が生きていくためのもとの力となるもの。生命。
② 生きている間。生物が生まれてから死ぬまでの生存の持続。
③ 寿命。
④ 最も大切なもの。唯一のよりどころ。そのものの真髄。
⑤ 運命。天命。

なんて意味が出てきます。
①や②の意味で使うことが多いのかな。。


『命』について
意識することや考えることは普段あまりないですが、
『生』や『死』を身近に感じたりしたときに
『命』についてふと考えさせられることがありますよね。



つい先日、
お寺の住職さんから
『命』の大きさについてのお話を聞く機会がありました。

小さい子供が亡くなると
「小さい命が失われた」という表現をよく聞く。

しかし、
小さい子供だろうと
100歳まで生きた長生きのおじいちゃんだろうと
命の大きさは変わらない。

全員がみんな、
同じように大切な命を授かっている。

そして、
残念なことにこの命には限りがある。

私たちにできることは、
限りあるこの尊い、大切な命を
一生懸命に生き抜くことである。

住職さんはそうおっしゃっていました。



普段、
お寺でヨガクラスを実施していることもあり、
「ヨガって仏教ですか?」
なんて聞かれることがよくあります。


ヨガも仏教も
同じインドで生まれたものです。

だけど
ヨガと仏教って
なんか似ているんだけど、なんか違う。
別物です。
(どこが似ていてどこが違うかは、またどこかで。。)


ヨガでは
あまり『命』という言葉は使わないけれど。


『命』のある期間、
生まれてから死ぬまでの
この現実世界で肉体を持つ
その短い期間をどう過ごすか。


そういう点では、
仏教もヨガも
すこし似ている部分があるなと
聞きながら感じていました。




その長さや
その間に経験することは
その人その人によって違えど、
どんなひとにも平等に与えられているのが『命』です。


「私の『命』は私のもの」
そんなふうに感じているひとも多いかもしれません。

だけど、
自分の命は決して自分だけのものではありません。

産んで育ててくれた両親や
両親の両親、両親の両親の両親..
自分が生まれるまでに
たくさんのご先祖様がいてくれたから、
そして、
成長を願い、応援してくれたたくさんのひとがいたからこそ、
自分がいま存在しています。

誰かひとりでも欠けていたら、
自分はいまここにはいなかったかもしれません。

たくさんのひとたちの想いを背負った
たったひとつの命なのです。


そして
その『命』の価値は、
性別、年齢、国籍、役職、持っているもの…
そんな外側の基準で決まるものではありません。


どこで生きるか、どれだけ生きるかに関わらず
みんなそれぞれにやるべきことが与えられていて、
そのやるべきことを
与えられた身体を使ってやりきることが
その尊い命の意味なのです。


そして
いつその命が消えるかわからないからこそ、
いまここにいるという奇跡に感謝をし、
一瞬一瞬を大切に
いま目の前にあることに全力で取り組んでいく必要があるのです。




限りある命を
どう使っていくか。


一度考えてみても良いかもですね^^



それでは
みなさまの1日が、今日も素敵な1日になりますように。

Radhe Radhe.




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