在りし日浮かべて祈る 東日本大震災11年 目を閉じ響くサイレン
石巻地方で6千人近くが犠牲となった東日本大震災から11年となった11日午後2時46分、犠牲者への黙とうを呼び掛けるサイレンが鳴り響き、人々の祈りが広がった。石巻市と東松島市で自治体の追悼式があり、参列者は「3・11」を後世に伝えていくことを誓った。
石巻市 追悼式 次世代への伝承責務
石巻市は約3700人の名が刻まれた石巻南浜津波復興祈念公園内の慰霊碑前で追悼式を開催。齋藤正美市長は「教訓を伝え、風化させることなく次の世代へと伝承していくことが責務」と式辞を述べた。
南浜町に住んでいた佐藤貴大さん(29)=神奈川県=はおじ、おばなどを亡くした。当時は就職を控えた高校3年で、避難所から何も持たずに上京。「人生の基点となる忘れられない日」と言い、市内に住む妹の萌香さん(23)は震災の風化が叫ばれる中、「当たり前の生活を奪う災害が起こりうることを思い出し、今後の備えにしてほしい」と望んだ。【熊谷利勝】
東松島市 追悼式 花手向け安らかに
東松島市の震災追悼式は大曲地区体育館であり、遺族ら約260人が参列した。震災で1133人が死亡、行方不明となり、故人の安らかな眠りと不明者の手掛かり発見に願いを込め、祭壇に花を手向けた。
渥美巖市長は「犠牲者に哀悼をささげる。市の発展と市民の幸せを第一に一体となって前に進むことを誓う」と式辞を述べた。
津波で祖母が犠牲となり、震災があった年はまだ4歳だった鳴瀬未来中3年の伊藤千紘さん(15)は「3月11日は学校で黙とうする機会が多く、卒業したことでようやく追悼式に参加できた。いまだ見つかっていない人もいると聞く。亡くなった方の分まで日々を過ごしたい」と語っていた。【横井康彦】
女川・追悼のつどい 自由献花で碑に祈り
石巻地方で唯一、式典を行わなかった女川町は、自由献花形式の「追悼のつどい」を町役場敷地内の慰霊碑前で実施。多くの人が訪れて祈りをささげた。
発災時刻には約150人が訪れ、サイレンに合わせて黙とう。その後、須田善明町長は「あの悲しみを誰かの命を救うことにつなげられるよう、私たちは懸命に生きる」とあいさつした。
実姉と義姉、おいを失くした石巻市羽黒町の松村千枝子さん(86)は「実姉以外は今も不明。心が苦しく、思い出さない日はない」と悲痛な胸の内を吐露。それでも「頑張って生きないと亡くなった人に申し訳が立たないよね」と気丈に振る舞った。【山口紘史】
「仲間として胸に刻む」 長渕さん追悼式で献歌
鎮魂の思い込めた3曲
シンガーソングライターの長渕剛さん(65)が、石巻市追悼式で3曲献歌した。齋藤正美市長の式辞の後、慰霊碑横の特設ステージに登り、静かに歌い始めた。
1曲目は「ひとつ」。平成23年、門脇小学校の校庭から生中継されたNHK紅白歌合戦で歌った曲であり、震災遺構となった門脇小の目と鼻の先で、11年ぶりに歌った。テントの中の参列者や通路に集まった人たちが、じっと聴き入った。
2曲目の「愛おしき死者たちよ」はギターを弾き、最後の曲は「何度でも生まれ変われるさ」をフレーズとした新曲「REBОRN」。厳かな雰囲気の中、魂の歌声が広々とした公園と空に響き渡った。
駆け出し時代に、温かく迎えてくれた東北の人たちの優しさが思い浮かび、震災直後から石巻市を訪れてきた長渕さん。献歌後の取材に「どんなに悲しくてもたやすく希望を語らず、東北の方が耐え忍んできたものを仲間として胸に刻み、門脇の海に眠る亡くなった方の思いを少しでも感じて生きていきたい」と心境を明かした。【本庄雅之】
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