震災11年 迎えた朝 きょうも思い 寄り添う
東日本大震災の発生から11日で11年となった。石巻地方の2市1町では5301人が犠牲(関連死含む、県の2月末まとめ)となり、いまだ696人が行方不明。大切な人を失った人、新たな人生を歩み出した人、被災地に心を寄せる人、それぞれが思いを持って「3・11」を迎えた。
母ちゃん「申し訳ない」
妻の帰り待つ尾形さん
石巻市住吉町の尾形勝壽さん(76)は、今も行方が分からない妻のきみ子さん(当時59)の帰りを待つ。
震災当時は門脇町で飲食店を経営。周囲が避難しているのを見て夫婦で店を出た時、津波に遭った。「ほら、お父さん、津波だ」。妻の最期の言葉だった。
一人助かった勝壽さんは「大きな津波が来るとは思わず、母ちゃんには申し訳ない」と後悔を抱いてきた。がれきから見つけたきみ子さん愛用のヘラを心の支えとし、翌年からキッチンカーで石巻焼きそばを販売した。
取材もたくさん受けた。それは震災を風化させず、応援をもらった人に元気な姿を見せるため。「受けた恩の半分も返せていないので、コロナが落ち着いたらどこへでも行って返したい」という。「母ちゃん、がんばって生きるぞ」と写真に語り掛け、歳を取って足腰が弱くなった自分にむち打つ。【熊谷利勝】
18歳の姿「見てみたい」
次女亡くした西城さん夫妻
日和幼稚園の送迎バスが津波と火災に巻き込まれて次女、春音さん(当時6)を亡くした西城靖之さん(53)、江津子さん(47)夫妻は、例年通り石巻市貞山の自宅で仏壇に手を合わせた。春音さんが大好きだったイチゴは欠かしたことがなく、江津子さん手作りの団子も供えた。
靖之さんは「11年経って何かが変わったわけではない。また3月11日が来た、その繰り返し」と話した。生きていれば4月8日の誕生日で春音さんは18歳。「見てみたいけど想像がつかない」という。
震災のことには口をつぐんできた長女の楓音さん(19)が、今年になって人前で妹のことを話すようになった。両親にとっては、うれしい変化。遺族有志の会で伝承活動に取り組む江津子さんは「私たちにできることを続けていきたい。(春音さんに)見守ってほしい」と話した。【本庄雅之】
胸に刻む記憶と教訓
石巻南浜祈念公園で献花
石巻南浜津波復興祈念公園には朝から多くの人が訪れた。園内には「みやぎ東日本大震災津波伝承館」もあり、開園後、初の3月11日とあって市内外から災害の教訓を胸に刻む人が足を運んだ。
公園内に広がる善海田池の手前に整備された追悼の広場にも人々の姿があった。祈りの場の献花台には花が手向けられ、津波が押し寄せた海に向かって静かに手を合わせ、故人に呼び掛けた。
埼玉県入間市の会社員、佐々木かなえさん(38)は石巻市を初めて訪れた。「ここが住宅地だったことが想像できない。関東では震災の風化を感じているが、被災地に足を運ぶことで記憶や教訓を胸に刻むことができる」と話していた。【渡邊裕紀】
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