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追悼 ジャズトランぺッター伊勢秀一郎さん 石巻出身 日本のマイルス「もっと上手くなりたかった」

 7月1日未明、石巻市出身のジャズトランぺッター伊勢秀一郎さんが、すい臓がんのため、都内の病院で亡くなった。享年68。日本のマイルスとも称された唯一無二の音は、聴く人の心に深く刻まれ、魅了した。七夕の7日に都内で営まれた葬儀では、音楽仲間十数人が「聖者の行進」を演奏して出棺を見送った。【元本紙記者・本庄雅之】

仲間が演奏で見送る

 伊勢さんが、ジャズに目覚めたのは石巻中学校2年の時。ラジオで「ナベサダとジャズ」を聞いたのがきっかけ。91歳の今も第一線で活躍するジャズサックス奏者の渡辺貞夫さんの番組でジャズに引き込まれた。

葬儀会場には、在りし日の伊勢さんの演奏姿の写真や遺品のトランペットなどが飾られていた


 石中、石巻高と同学年だった湯目隆之さん(68)は、当時は一度も話したことはなかったが、高校の文化祭の時、「あやしげな部屋でジャズをかけていたのを覚えている」と語る。中学、高校と剣道に打ち込んだ伊勢さんは、東洋大学進学を機に上京。そこからジャズの道に進んだ。

 奏法を独学、高橋達也と東京ユニオン、宮間利之とニューハードなど一流のビッグバンドや数々のユニットで腕を磨いた。ジャズの帝王、マイルス・デイビスに憧れ、ミュートという弱音器を用いた演奏をマスター。伊勢さんが紡ぎ出す音は、マイルスをほうふつとさせる静かで、心にしみる独特の音色が特長だった。

 「高い音で早いリズムで吹くトランぺッターとは対極にいた。彼の優しい人柄のような音だった」と湯目さん。13年前からユニットを組み、妹のようにかわいがられたジャズシンガーのMIKAさん=栗原市=は、遺品のトランペットをもらい、マウスピースの径(けい)の広さに驚いたという。

 「あの径ではなかなか音が出ない。全身全力でささやきの音を生み出していた。それは長い年月をかけ、独自の技巧を生み出していたと痛感した」
 伊勢さんの伴奏は歌いだしの1コーラスはほぼ吹かず、その後も「ここしかないというスペースを顕微鏡で拡大してみているような、絶妙な場所にビハインド(遅れて)で入って歌を豊かな世界に作り上げていた」と振り返った。

 平成12年の石巻高同窓会の幹事の時、同期の伊勢さんをゲストに招いたのをきっかけに伊勢秀一郎応援団を作った佐藤秀博さん(68)は、毎年のように石巻でライブを企画した。共演のベーシストから「伊勢さんのラッパは前だけじゃなく会場全体に広がる独特の音」と聞かされたという。

 今年6月7日の岩手・一ノ関のライブには、周囲の制止を振り切り「死んでもいい」覚悟で臨んでいたという伊勢さん。翌日、栗原市のカフェ・コロポックルでのライブを終え、上野駅から病院に直行した。命がけで演奏した「ダニー・ボーイ」が葬儀会場に流され、参列者の涙を誘った。

 入院中も「ビール買ってきて」というほどの酒好き。亡くなる前日、「俺はトランペットを吹くことができて幸せだった」とぽつり。そして「もっとラッパがうまくなりたかった。タイムがまだまだ速いのに気が付いたんだ」とさらなる高みを目指せないことを悔しがっていたという。

 戒名は「寛秀法響居士(かんしゅうほうこうこじ)」。本人の希望で、遺骨は石巻市内の寺に納骨される。一ノ関で収録した最後のライブ音源は、伊勢さんの誕生日の10月18日前後にCD発売の予定だ。


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