義母のひとこと(1)「仕事なんか辞めて…」その一言があったからこそ仕事を続けた
20歳で会社に入り、結婚まで一生懸命に働きました。それこそ我武者羅です。なんとか上手くなりたい、もっと書けるようになりたいと、平日は8時前には出社し、終電まで働き、自宅に仕事を持ち帰ることもしばしばでした。今で言うとブラックですね。でも自分のため、という気持ちも大きかったと思います。
結婚しても仕事を続け、27歳で長男を出産する前まで働き、産休に入りました。その頃のデザイン業界は結婚している人も少なければ、出産している人はもっと少ないのが現状。不規則な仕事であることを考えると、当然なことだったと思います。そんな中での産休は非常に取りにくいものでしたが、当時の社長から「どのくらい休んでもいいから、復職してください」と言われたこともあり、復職するつもりでした。私の母も、義母も共働きだったので仕事を続けることは当たり前だったし、それまでのキャリアを捨てるつもりもありませんでした。
ところが出産で大量に出血したために産後がツラく、出産5カ月前に母を亡くしたダメージもあり、産後1年ほどは精神的に相当まいってしまいました。今思えば、あれは産後ウツではなかったかと思います。子どもが生まれて楽しいはずが、結構ツラい日々でした。1年半の産休が明ける前には長男を11カ月で保育園に入れ、準備は進めていたものの、復職するかどうかを悩む日々。そんな中で義母が言ったのが、この一言。
「仕事なんか辞めて、家で育てんと!(育てないと)」
えっ!「なんか」って何?人が一生懸命にしてきた仕事を、「なんか」の一言で片づけるの?さらに、独身の頃から私の仕事ぶりを見てきたダンナが「そうね」と同意したことに腹も立ったし、「ここに私の味方はいないのか」と空しくもなりました。27年前のこととはいえ、今でも鮮明に思いだす屈辱的な一言です。今なら義母に悪気がないこともわかるし、「お義母さん『なんか』って言わんで(言わないで)!」と強く反論もできますが、当時はできませんでした。
この一言で、いろいろ悩んでいた私の心は「仕事する!」に完璧に固まりました。子育てしながら仕事を続けるのは大変でしたが、「もう二度と言わせない」との思いがあったから、頑張れたと思います。
あれから25年ほどたったお正月のこと。年始にも関わらず、ダンナの実家で原稿を書いていた時に、義母が何をしているのかと聞いてきました。仕事の内容をザッと教えると…
「あんたエライね、難しい仕事をして。いつから、こんな仕事をしよる?」
「昔からずっとよ!今さら?」
笑ってしまいました。何度か説明はしたはずですが、コピーライターという仕事を理解していなかったようです。この時にやっと、義母の中では「仕事なんか」じゃなくなったんだろうと思います。ちょっとうれしい出来事でした。
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