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読書記録|読みたいことを、書けばいい。

疲れと読書の日々

ここのところどっぷりと疲れてしまい、しばらく疲れに浸かっていました。疲れているときは夢見も悪く、顔には疲労がにじみ出て、とくに目の下がだるんとしています。季節の変わり目だからかなあ。

そんな鬱屈とした日々にいて、読書は細々と続けていました。
9月に買った本の一部はこちら。



『読みたいことを、書けばいい。』

9月に買って読了した本、『読みたいことを、書けばいい。』の感想を書いていたものの、体調も影響してか、書いていてもまったく気が乗りません。書いては下書きに戻し、開いては閉じ、の繰り返しです。

「書くこと」について多角度から田中さんの視点がちりばめられている本で、根幹はタイトルのとおり「(自分が)読みたいことを書けばいい」。この一言に集約されます。



自分が読んでもつまらないもの

私は読書は好きですが、感想を書くのが昔から苦手です。

あの部分もよかったし、ここもよかったな、と響いた箇所を断片的には話せるのですが、感想をまとめようとすると「ええと、何が言いたかったんだっけ…」という具合に途端に言葉に詰まってしまいます。

ふせんの数だけ心の動きがあるのに、まとめられない。がんばってうまくまとめようとした文章はつらさとつまらなさがもろに出ます。

そんな文章は私が読みたくない……!

「自分が読んでおもしろい文章」とは、「まだだれも読んでいない文章を自分で作る」ということである。(中略)「いまさら書かなくていいことは書く必要がない」という事実はある意味、ラクなことだ。特段の新しいものの見方も疑問もなく、読み手でかまわないなら、読み手でいよう。どこかで読んだ内容を苦労して文章にしてもだれも読まないし、自分も楽しくない。

『読みたいことを、書けばいい。』第2章 P101, 103

おっしゃるとおりです。

私がこの本について何か書こうとすると極端につまらなくなってしまうのは、Amazonにすぐれた感想がたくさんあるからです。

レビューを読むと納得と共感、発見があるわけですから、私が新しく書く必要がないんですね。じゃあ、書かない。清々しく読了しました。



内容以外でどうしても話したいこと

内容とはまったく関係のないことですから、読み飛ばしていただいて構いません。でも私は、これはどうしても言いたい。

同著 P15 拡大

私はこの本に採用されたフォントが、どうにも気になってしまいます。

いろいろな本で見かけるフォントですが、「た」の3画目の場所に目がいってしまう。どうして1画目の真横に3画目がくるのか。

「に」の2画目の中央に重力がやんわりと働いていることも、「め」の1画目と2画目の交わる部分が出ていないのも気になりますが、とにもかくにも、私が「た」を通りかかるたびに意識がデザインのほうに引っ張られてしまいます。

同じようにこの「た」に引っ張られている人がいれば、友達になれそうです。

調べると、「かな民友ゴシック」というフォントに似ているようですが、「に」と「め」は異なります。なんていうフォントなんだろう。

どなたかご存じでしたら教えてください。



終わりに

こういう、なんのまとまりもない、しょーもない読書記録だったら気軽に書けそうです。

しっかりしたものを書かなくてはならん、という自分への期待とプレッシャーがあるんでしょうね。

かっこよくあろうとせずに、20点くらいの自分のままで自分が読みたいことをゆったりと綴っていこうと思いました。

それでは、また。

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