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エッセイ12「無口の分析学」

私はよく怒っているところが想像できないと言われます。
まぁたしかに声を荒げることはあまりありません。
あまりというか自分ですら声を荒げて怒ったということは記憶にありません。
そもそも感情を大きく表現することが苦手だったりします。
私を良く知る家族ですらなにを考えているかわからないと辛辣でした。
亡くなる直前の祖父との会話では「お前は全然喋らなかった」と言われる始末です。
非常に情けのない話です。
言い訳をさせてもらいますと、私を除く家族全員が感情豊かで声が大きくお喋りなのでなにか本能的なものが働いてバランスを取ろうとして静かになったのではないかと分析します。
つまりは私がこうなったのはあなたたちにも責任が少しはあると声を張り上げたいのですが、そういう性格ではないので黙っています。
他にも要因はあるでしょう。あくまでも私の主観的な分析なので実際は違うかもしれませんがお付き合いください。

一つは私の話すスピードが遅いということです。
私はなにか会話をするときに頭の中に言葉が浮かびます。その言葉は複数で選んでいるうちに時間が経ちます。
この時間のロスは会話の中では非常に厄介で、会話のテンポを崩してしまいます。
多くの人が100キロを超えるボールを投げている中70キロの緩いボールを投げているわけですからそれはもうチェンジアップになってしまいます。
一対一の会話であればある程度テンポを歩み寄らせることができるため成立するのですが、複数人での会話ではそのテンポについていけず、後ろの方で黙ってニコニコしているだけになってしまうのです。
そうするとその場にいる人は私のことを寡黙な人だと思うでしょう。
違うのです、ただペースについていけていないだけなのです。
会話のテンポが160キロのメジャーリーガー級のおしゃべりがきた日には私は相槌を打つだけのキャッチャーになってしまいます。
この状況では感情表現どころではありません。
そもそも言葉すら出ていないのですからね。
私としては頭の中ではおしゃべりなのですが、どうもそれを口に経由させることが苦手のようです。

もう一つは顔の筋肉が軟弱であること。
私は昔から写真が苦手です。
はいチーズという言葉を聞くと緊張します。
そうして撮った写真を見ると私の笑顔は非常にぎこちなく、なんでこうなったんだなんていう写真は山ほどあります。
私としては満面の笑みで写真を撮っているつもりなのですが後から確認すると笑っていればまだいい方で、先ほどまで不貞腐れていたのかと思うほど無表情の時があります。
私の頭の中のイメージと実際の写真とのあまりのギャップに毎度驚かされます。
これはどう考えても表情筋のせいです。
私の脳と顔が連動していないのです。
口を開けて笑ったことなんて数えるくらいしかありません。
こと写真に限ってはそもそもどうやって口を開けて笑うのかがわかりません。
皆が楽しそうに笑う中1人だけお札の顔をしているのです。
写真でなくとも楽しいのに、眠い?や帰りたい?と言われることも少なくありません。

次は表情ではなく感情についてです。
私は自分で言うのもなんですが非常に感受性豊かであると思います。表に出さないだけで常に頭の中では喜んだり悲しんだり怒ったりしています。それが表情と連動していないだけで。
喜び、悲しみはこの際置いておきましょう。
怒りに関しては周りの人は誤解していると思います。
私は非常に怒りやすいと思います。
しかしそれが他の人よりも細かく小さい。
大きな怒りはほとんどありません。
基本的には細かいことで日常的にイラッとしています。
例えば母親とテレビを観ているとき。
私たちはクイズ番組を観ていました。
答えはCMのあと!というよくあるパターンで私はCM中に必死に答えを考えていました。
そんな中母親はリモコンを手に取りチャンネルを変えました。
そこまではいいのです。CM中にチャンネルを変えるのは当然のことだと思います。
しかし母親はそのまま動物番組を観始めたのです。
信じられない!
私はイラっとしました。しかしなにも気にせず動物番組を観る母親に「答え気にならないの?」と声をかけると一言、「うん」と返ってきました。
それならしょうがないか。私の怒りは消えて残ったのはクイズの答えがわからないモヤモヤだけでした。
母親×テレビはイラッとすることが定期的に訪れます。
昭和の名曲をランキング形式で紹介する番組を観ていました。
私たちはこの曲じゃないか、あの曲じゃないかと予想をして楽しんでいました。
ついに一位の発表です。そして例の如く発表前にCMに入りました。
私は予想が的中しているかワクワクしながら待っていました。
しかし母親が衝撃的なことを言いました。
「お風呂入ろっと」
信じられない!
私はイラッとしました。さっきまであんなに楽しそうに予想していたのになぜ一位が気にならないのか。
私は呆然としました。
ちなみに一位は『ラブストーリーは突然に』でした。どうでもいいですね。
妹にイラッとすることもあります。
年末、私は紅白で椎名林檎の登場を楽しみに待っていました。
ついに登場というタイミングで妹はティファールの電源をオンにしました。
椎名林檎の細い歌声がティファールの騒音に勝てるはずもなく、拡声器を持つ椎名林檎の歌声を湯が沸く音が掻き消しました。
妹にイライラしつつも拡声器持ってるんだからもうちょっと声聞こえてもいいだろと椎名林檎にすら怒りを覚えました。
店でイラッとすることもあります。
私は中学校のとき、同級生と某ハンバーガーチェーン店に行きました。
中学生なんてお金がないですから基本的にはなるべく安価で購入できるものを買います。
私はハンバーガーとシャカシャカチキン、そして飲み物を購入しました。
私はシャカシャカチキンのチーズ味が大好物でよく頼んでいました。
私はレジで注文をすると、店員さんが「チキンの味はどちらになさいますか?」と尋ねてきました。
私はもちろん、「チーズでお願いします」と答えました。
注文を終えて私は受取口で購入したものを受け取り、席につきました。
飲み物の容器にストローを刺して一口飲み、少ししてから違和感に気がつきました。
その違和感の正体はチキンでした。
違和感とはなにか。
なんと、チキンをシャカシャカするための粉がないのです。
粉がないというのはシャカシャカチキンにとって死活問題です。
シャカシャカチキンはシャカシャカと味をつけるからこそシャカシャカチキンと初めて呼ぶことができ、そうでなければただのチキンです。これはふりふりポテトがなぜふりふりポテトというのかと全く同義です。
私が頼んだのはたしかにシャカシャカチキンだ。ただのチキンではない!
私は即座に席を立ち、再び長い列に並んで店員さんの元へ戻りました。
「すみません、チキンの粉が入ってなかったんですけど……」
私は店員さんとの会話が苦手で、内心ビクビクしながら話しかけました。
面倒くさい客だと思われたらどうしよう。
どうすれば身の潔白を証明できるのだろう。
くだらないことばかり考えていました。
すると店員さんは衝撃的なことを口にしました。
「すいません、シャカシャカチキンの粉なくなっちゃったんです。ここ、今月末で閉店するからもうないんですよ」
私は絶句しました。通い詰めた店が潰れることにではありません。
まだだいぶ日数があるにも関わらず品切れていることにでもありません。
シャカシャカする粉がないならなぜ、さっき私は2択を迫られたのかということにです。
私はチーズと激辛ホットの2択を提示されたからチーズを選択したのです。
そもそもシャカシャカできないことを知っていれば私はこのチキンを買わなかったかもしれない。
にも関わらず何も言わずに粉なしのチキンを渡してきたのです。
これではいくら振ってもただのチキンです。
言ってよと。粉がないなら言ってよと。
たしかに私はその店舗が閉店することは知っていました。
扉に閉店を知らせる貼り紙がありました。
しかし、まさかシャカシャカチキンの粉がないだなんて、しかもなんの説明もないだなんて思わないじゃないですか。
しかし私はなにも言い返すことなく、とぼとぼと席に戻りました。
席について私は連れの同級生に一連の出来事を愚痴りながらチキンを食べました。
チキンは美味しかったです。
私の怒りは数時間後には消えていました。
このように私は日常的にイラッとしています。
そしてその内容は皆さんがこの文章を読んで抱いたであろう感想『しょうもな』という一言に集約されます。
そのため私はあまりそのイライラを表に出すことなく自己完結し、日々の生活を送っているのです。
これが私が怒っているところが想像できないと言われる大きな要因であると考えます。

私は感情表現が苦手であり、笑顔が上手く作れず、イライラしやすいという非常に面倒くさい性格だということが今回明らかになりました。
明らかになどしなければよかった。
私は今猛烈に後悔しています。
周りの人間には寡黙で心優しい、そんなふうに思われている方が得に決まっています。
しかし、文章を書いていると思うのです。
なぜこうも文面はおしゃべりなのかと。
少しでもこれらの言葉を喉から通すことはできないのかと。
そんなことを考えながら私は口ではなく指ばかり動かしているのです。

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