エッセイ4「読書タイムでの読書は可能か考える」
読書タイム。懐かしい響きですよね。
私にとって最後の読書タイムから早10年経ちました。
私が誰かに強制されて読書をしたのはあれが最初で最後かもしれません。
ぶっちゃけて言いますと私は読書タイムが嫌いでした。
読書好きの私が読書タイムが嫌いな理由。
簡潔に申しますと時間が短いから。
思い出しますね。
まだ私が義務教育を受けていた頃。
私の担任、小学校から中学校までの計9人の先生は必ず同じ指示を出しました。
10分間今から読書をしなさい。
いやいやいや(笑)
10分は無理だって!!
私は常に先生のこの無茶すぎる要望に心の中でツッコんでいました。そして貴重な10分の内の数秒を無駄にしていました。
たまに学校の先生は無茶な要求をします。
たとえば授業が押したのに時間内に給食を配れだの、合唱を通して30人がひとつになれだの。
あれは心がひとつになったのではありません。
歌いすぎて音程が安定したのです。
ウィーン少年合唱団だって心がひとつであるとは考え難い。
彼らだって歌いながら、帰ったら何をするか、夜ご飯はなにか、明日学校行きたくねぇななどと各々が雑念を浮かべているはずです。
そんな様々な無茶な要求の内、私が最も無茶だと感じたのが読書タイム。
10分で読書をすることでした。
この時間設定はそもそも1冊の本を分割して読むことを想定されています。
それは別に構いません。私も今日はここまで読もうとか、今日はここまでにして続きはまた今度読もうなどと分割して読むことはあります。
しかし、問題なのは読書タイムが連日行われるものではないということ。
私の学校は曜日毎で朝の活動が分けられていました。
たとえば月曜日はワーク。火曜日は読書。水曜日は合唱などと各曜日で決まっていて、隔日もしくは2日空くことなんてざらでした。
続けて読ませてはくれないのです。
そうなってくると必要になってくるのは前回までに何が起こったかを思い出す作業。
それも10分の内に行わなければなりません。
1回の読書で情報量が多いほど必要になる時間は増えるため読む時間はだんだん短くなってしまいます。
私はこれをドラゴンボール現象と読んでいました。
私と同年代かそれより上の方ならわかっていただけると思うのですがドラゴンボールは前回までの振り返りにかなりの尺を使います。
これはワンピースにも言えることなのですが、ワンピースはドラゴンボールよりもタチが悪い。ルフィは何者になりたいのか。今はどういう時代なのか。
そこまでの過保護な説明をした後に待ち受けるのが前回までの振り返りです。
気がついたら時計の長針は8を指しています。
ワンピースは時計の進みがやけに早い。
待ち合わせで友達が遅れるときにはワンピースを観ればいいと思います。
ということでこの現象はまだドラゴンボールの方が近いですね。
長い脱線申し訳ありません。
そうこうしている間に時計の針が8を……。
話を戻しましょう。
とにかく次の読書タイムまで日数が空いてしまうため思い出す作業が入る。
そこに時間を割くと読書タイムは十分な時間を取れません。10分を確保出来ません。
私は9年間、読書タイムが終わる度に机の中に本をしまうのを躊躇いました。
そして勝手に延長に入り、そのことを担任に咎められ続けました。
一度本の世界に入ってしまってはそんな数分で抜け出すなど無理に決まっているじゃないですか!
余韻に浸ったっていいじゃないですか!
先生はエンドクレジット観ない派ですか!
この人でなしっ!
私の必死の抵抗も虚しく、ときに本を没収されることもありました。
ですが悪いのは先生ではありません。
悪いのは短い朝の時間を読書の時間にしようとした読書タイムの生みの親です。
そもそも10分ある時間を何に使おうと考えたときに読書を提案するのが間違いです。
朝、ホームルームの前に時間どのくらいある?
10分ありますね。
よし、本を読ませよう。
この軽はずみな考えが後に私たち読書好きを苦しめる一手となります。
短い時間で少しでも文章に触れて欲しい。
たとえそれがカラスの行水的読書であったとしても。
突然ですがイレブンカットに行ったことはありますか?
私は義務教育時代によく行きました。
11分で髪を切るというタイムパフォーマンス重視のヘアカットは価格が安いこともあり、前髪が目に入って激痛が走る度に私は通っていました。
理髪師は私が席に着席すると鏡に貼り付けてある11分に設定されているタイマーのボタンを押して、そして髪のカットを始めます。
私の視線は毎回自然とタイマーに釘付けになりました。
残り1分になると私は不安げにちらちらと鏡越しの自分の髪の毛を確認します。
本当に終わるんだろうか。
これが噂のアシンメトリーか?
不安が渦巻く胸中を嘲笑うかのようにタイマーがけたたましく鳴り響きました。
タイムアップか……。
私は立ち上がろうとすると理髪師は何も聞こえなかったかのようにボタンを押して音を止めると、何事も無かったかのようにカットを続けました。
結局、切り終わるのに30分かかりました。
サーティーカットでした。
ですがそれで良いと思うのです。
11分経ったからといって作業を終えられる方が私としては困ります。
満足のいくところまで続けてもらった方がいいに決まっているし、なんだか得した気分になります。
それはきっと読書タイムも同じはず。
満足のいくところまで読む。各々の10分で読書をするべきなのではないでしょうか。
30人が心を揃えるのは不可能であるように
読書のタイミングを揃えるのも不可能です。
自分なりの10分間を模索することがより質の良い読書タイムを生み出すのだと私は考えるわけです。
ちなみに私は他に嫌いなものが2つあります。
ひとつは週一で人も代わるのに、
しかも短い時間なのに長編小説をチョイスするクラスメイトのお母さんの王様のブランチ的読み聞かせ。
もうひとつは時間通りに来ない電車です。
時間を守れないのはいけません。
たとえ1分でも過ぎてほしくない。
10分も守れないお前が言うなって?
そうですね、心より謝罪申し上げます。
大人しくワンピースでも読んで時間を潰します。
もう義務教育は終えました。
読む本は漫画でもいいですよね。
読書タイムではないですから。
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