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東海道を歩いてみよう!京都三条~大津宿

東海道を歩く、阪急バスツアーに参加してきました。道中ガイドさんに、本当にたくさんのことを教えていただき、できる限り覚えておきたいと思いましたので、とめどなく記録のような、日記のような…。

京都三条大橋~山科駅

スタートは京都三条大橋の広場。(ここまで名古屋からバスできました。)まずはこの河原で準備体操をして出発しました。

今回のウオーキングのマップです。
こちらはツアーのプレゼント!それぞれの回でついてくるそうです。ここで体操をして歩くよ!
秀吉時代の石が4本残っている↑。写真の手前のように石の部分が残っているものです。あとは、手前の左側のように木に建て直されています。石と石がくっつけられて建てられているもの。
池田屋事件の乱闘の最中つけられた刀のあと。
三条大橋を渡り切ったすぐ出てくる、高山彦九郎の像。皇居のある方角に向けて拝んでいる。
実は前にも来たことある粟田神社(某ゲームの影響で)

京都で、お酢はもともと染物とかでも使われていたそうです。

ここから蹴上駅付近に向かいます。この地名、馬が蹴り上げた泥が、義経の衣服に着き、怒った義経が従者9人を切り捨てたという説から来ているのだそう。
こっわ…

☆そして、このあたりのインクラインについて…。
昔、京都の空気が悪いぞ!と、琵琶湖の水を引いて整備をするために作られたもの。この際、途中で峠があるため船をひけない…という問題を解決するために作ったのが線路。この上に船を置き、引っ張って持って行った。田辺拓郎という人物が責任者(当時21歳!!?で東京帝国大学出身)

【粟田口刑場跡】
ちなみにここらへんには、太平洋戦争中空襲でやってきた戦闘機を落すための砲台もあった。
日野岡峠…地名の由来は、京都に太陽が昇ったとき、最初に当たるのがここらへんだったから。
車石跡。これをひっぱって歩いていたから、東海道道中にはこれを引きずった跡、もしくは引きやすいように作った?とされる石が多く残っている。
これより、思いっきり閑静な住宅地の中を歩きます。
えぐれているのが分かりますか?↑
天智天皇が作った時計のモニュメント↑
山科地域では、町おこしとして、お店や家の玄関にこういった茄子の飾りがありました。(おもて「ナス」みたいな)笑
山科駅到着です!ここで一旦バスに乗り、朝食会場に向かいます!

山科駅→三井寺(昼食)

バスに揺られて15分くらい…。着いたのは三井寺の隣にあります、風月さんです!

1階にはお土産屋も併設されています。
そば食べたよ!
お土産屋さんのなかには、出来立てあったかいひきづり鐘まんじゅうを食べれる場所もあり!できたては美味しさが違うわ!!
三井寺の仁王門前。

昼食後は、また山科駅まで戻り、ウオーキング再開です!

山科駅~滋賀に入るところまで

山科は昔は、「山階」という漢字だったらしい。
由来が、山科駅の前は棚田の影響で斜めになっているため、とのこと。
こちらも、諸刃が昔は「両刃」の漢字だったとか。
その昔、小野篁が地獄の穴にいったさい、閻魔大王が「地獄に落ちるもの多すぎて、仕事が増えてたまらん。どうにか、現世で地蔵信仰を深めてほしい。」(←超絶意訳です。)そうして帰ってきた後に、桜の木で6体のお地蔵さんをつくって奉ったとされる。
蝉丸法師の墓
井戸です。ここで飛脚さんたちは水を飲んで休憩をしたよう。

☆ちなみに、かなり健脚な飛脚さんだと、江戸から大阪まで平均3日で着いていた。ただリレー方式です。さすがに…。
ただ、いつ出発するのかなど保証はされていなかったので、もしこれを保証してもらうとなると、かなり割高のよう。

途中で夕子で有名な八つ橋のお店に立ち寄る♡

ここから県境を越えて滋賀に突入だ~!

~大津宿

車石↑
【月心寺】
このあたりの道はかなり変わってしまったが、明治期の画家橋本関雪が土地を買って、この寺のあたりは保護されています。小野小町が住んでいたとされる場所も保管されているそうです。
その井戸
土用の丑あたりには、かなり混雑する人気店みたい
夢にみた「逢坂の関」までやってきました~!私は清少納言から知りました。
よく和歌でもうたわれますね。
そして大好きな清少納言の歌碑です。


初めて日本人だけで作った。
トンネル→両方から掘った。ずいどう→片方から掘った。
という違いがあるそうです。
「樂」の字は、普通「落」だけど、縁起が悪いとのことで「樂」の字があてられた。
突然虚子先生たちの名前出てきてびっくりしたけど、境内に句碑があったんです。↓
なんとこれ、鎌倉時代のものらしい。
大津宿本陣まで来ました~!
大津宿内の家の屋根には鍾馗の像が。
駅前で終了です!ありがとうございました!!
バスでもらったお土産~♪

だいたい6時間くらいのウオーキングだったんですが、情報量がありすぎて、本当にあっという間!!と感じるくらいの充実さでした。というより、ガイドさんの知識がすごすぎる…。歩く中で、どんどん歴史の話やその土地の話がポンポンでてきて圧倒されてました…。すごい…ありがとうございます…。(途中から脳みそキャパオーバーしててメモることすらできなかった)

これから26回にわけて、日本橋の終着点にむけてツアーが組まれているらしいです。またどこかの回で参加したいな、と思いました。

おまけ~バス内で聞いた話~

※完全にメモ用です。

☆名古屋から向かっている最中にみえた車窓からの鈴鹿山脈にみえる方向には中山道がある。
☆関ヶ原の戦いが終わったあと、江戸幕府はすぐに街道の整備に取り掛かった。
→理由として、江戸から(幕府)京都まで(天皇がいる)、スムーズに物資や情報が行き渡るように。
☆五街道…甲州街道や中山道など
☆すべての起点は日本橋!
☆一番古いのは奥州街道(最終ゴールは青森)
五畿七道…奈良時代から一応整備はされていた。(東山道や山陰道など)
☆宿駅伝馬性…宿場ごとに役所を立てて、都と江戸をつなぐ

☆モネやゴッホは広重のファンだった…空の色など青色が魅力的だった(広重ブルー)
☆大津絵…昔は教訓を書いてお土産として渡していた。(良縁とか夜泣き防止とかも)


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