今年読んでよかった本についてのなんかアレ
前置きは不要! では始める
・さくらのまち
三秋縋の最新作。雪の町を舞台に、不器用にしか生きられなかった男と、同じくらい不器用にしか生きられなかった女、そして、それをもどかしく思いながらも、やはり不器用なものだから何もできなかった男の話。
時代は近未来とも言えるし、たったひとつの技術が生まれた現代でもいい。それのせいで、不器用な三人が仲を深め、すれ違い、崩壊した。そのための設定であり、同時に、最後の一文のための設定だった。
迂遠な言い方をしているが、こればかりは読んで欲しい。これほどまでに寂寥感を覚えた作品を、俺はこれまでの読書家人生で味わったことがなかった、と言い切ってもいいくらいの最後だった。
登場人物の中で最も勇気がなかった主人公だからこそ、生き延びることができた。だがそれに何の意味がある? 彼の欲しかったものは、持っていたものは、すべて手を離れた。もう二度と手に入らない。一度でも最高の友達を持った人間は、それを一度でも失えば、もう再び入手することはできない。それでも死ぬだけの勇気はない。他の二人、そして女の妹である女子高生にもあった勇気が、主人公がなかった。
それはきっと、彼が大切な友達が二人もいたからだ。物理的にも、精神的にも失ってしまって、もう二度と手に入らないとしても。
彼には大切な友達がいた――親友がいた。その事実だけで、世間は彼を不幸だと評さない。その事実を冷たく、冬の終わりに降る涙が教えてくれた……。
・彼女が探偵でなければ
「五つの季節に探偵は」の続編。主人公みどりが結婚し、母親になり、探偵社では管理職になったが、それでも変わらずに、どれだけ残酷な結末――真実であろうとも明かさずにはいられない、探偵の性を描いていた。
短編集だが、最初の話である「時の子」の真実はひどく残酷だったが、何より残酷だったのは、それを行った父親と同じ道を、息子が歩むことだ。真実を知らなければ捨てられたかもしれない、父から受け継いだ習性を、真実を知ったから――父親が自分を愛していなかったことを知ったからこそ、完全な形で受け継いだ。
それを受けて、最後の話である「探偵の子」がある。これは探偵を父に持つ主人公みどりのことであり、そのみどりの子のこと、二つの意味を持つ。
真実を求めようとし続ければ、決して幸福にはなれない。幸福とは所詮、妥協する形でしか得られるものではないのだ。幸福に真実は必要ないが、それを明かさなければ生きていけない性を持った人だから、探偵なのだ。よって、探偵に幸福はない。
母親として、そんな人生を息子に歩ませていいのか。母親になったみどりは葛藤する。しかし、最後の事件の謎を解いた時、彼女の父が探偵でありながら、真実を公にせずに胸に留めて生き続けた強さを知り、そのおかげで幸福を得た人を知る。
自分も、そして息子もきっとそうなり、そういう人を生み出せる。と信じて終わる結末は見事だった。探偵は幸福になれないかもしれないが、誰かを幸福にすることはできる。それは探偵の性であり、人のあるべき姿なのかもしれない。
・地検のS Sの幕引き
地検のSシリーズ最終巻。
すべての因縁に決着をつけて、しかし、それで終わらなかった。
不正をし、罪を犯した政治家を、そうやって培ったキャリアをすべて無に帰するために政治家のままにしておく、という恐ろしいまでに綺麗な復讐劇には唸るしかなかった。身の破滅を避けるには、長い時間をかけてやってきた自分の功績を、残りの人生のすべてを賭けて否定するしかない。これほどまでに残酷で美しい罰を、俺は知らない。
悪であり続けた人に、その悪の結果で傷ついた人たちを救う正義の人となることを強いる、と言ってもいい。
本来、政治に携わる人は正しくなければならないが、当然、そうであることは難しい。であるならばせめて、自分の不始末のけりは自分でつけるべきだ。それが自分でできないならば、司法の人がそれを成す。
そんな理想的な政治と司法の関係はありえないだろう。
だが、ありえないものを現実にし続けたのが人だ。だからきっと、物語の中だけではなく、現実でもできる。それくらいの希望がなければ、人が生きていけるはずがないのだから……。
以上の三作が、今年のベスト小説と言える。
が、あと一冊、おまけで書く。これは昔に読んだものを読み返して、作者の真の意図に気づいたから、だ。
・ブギーポップ イン・ザ・ミラー「パンドラ」
今なお続くブギーポップシリーズの三作目であり、アニメ化の際には除外された番外編だが、ファンからの人気は高い作品。実際、俺もブギーポップシリーズでは一番好きだし、ライトノベル全体で見てもベスト3に入れるくらい好きな作品だ。
それを今年、読み返してふと気づいた。
これは作者上遠野浩平の愛するジョジョの奇妙な冒険、その五部へのオマージュであり、六部のプッチ神父へのアンサーだったのだ。
そもそも、プロローグのサブタイトルがour gangである。言うまでもなく、ジョジョの五部はギャングの内輪の抗争だ。主人公ジョルノ、そしてプチャラティに魅了された仲間たちの決死行とも言える。
彼らがどうして命を賭けてまで旅を続けたのか――それは結局、仲間たちのことが好きだから、だったのだろう。たとえ組織を裏切っても、世界を敵に回しても一緒にいたいくらい、仲間たちが好きだった。皆で馬鹿なことも、辛いことも経験して、そして笑い合って生きていたかったからだろう。
パンドラに出てくる六人の仲間たちも、それだけだ。世界の危機に巻き込まれてなお、一緒にいたのは、大好きな仲間を見捨てられない、という想いがあったからだ。奇妙な力を持った者同士だからではなく、それ以前に皆、仲間たちのことが好きだった。
まさにジョジョ五部だ。
そして、パンドラの劇中で仲間を守って命を落とした青年は、未来を感じ取ることができたが、完璧な形ではなかった。そして、だからこそ、いざという時に身体を張って皆を助けられた。彼は言った。未来がわかっていたら、きっと、何もできなかった。
プッチ神父は、未来に何が起こるか完璧にわかっていれば覚悟を持って生きられる、と説いたが、まさにそれに対するカウンターであり、答えだろう。未来を知らないからこそ、人はとっさに命を落とすようなことでさえできる覚悟が、激情が持てる。未来なんか知らなくても、人は、覚悟を持って生きられる。
ブギーポップシリーズ自体がジョジョの影響を受けた作品だが、その極とも言えるのがこのパンドラだった。
そして上遠野浩平は、この作品の後に、五部の仲間たちから零れ落ちたフーゴを救済する作品を描いている。彼も大好きな仲間たちに戻って欲しい、と上遠野浩平は思ったのかもしれない。
……最後が一番、長いじゃねぇか!
仕方ない。パンドラは初めて読んだ中学二年の時から俺の心を掴み続けた作品だから……
ともあれ、今年のベストは、「さくらのまち」「彼女が探偵でなければ」「地検のS Sの幕引き」だ。
他にもいい作品は多々あったが、これは揺るがない。特に「さくらのまち」は超ド級の傑作だった。
来年はどんな作品に出会えるだろう。期待を込めて、この文章はこれで終わりである。