好きなこと、楽しいことをするのに罪悪感
私は昔から、好きなことや楽しいことをするのに罪悪感を持ってしまう。
なぜかは分からない。
でも、どんなに好きなことや楽しいことをしている時でもそれに没頭することができず、「本当にこんなことをしていていいのだろうか」という心の声が聞こえてくる。
この、「楽しむことに罪悪感を感じる」ということについて少し調べてみたところ、どうやら機能不全家族のもとで育った人間に多く見られる傾向らしい。
いわゆるアダルトチルドレンである。
それを踏まえて自分の幼少期を振り返ってみると、もしかしたらと思い当たることがいくつか出てきた。
私がまだほんの幼い頃のこと。
住んでいた集合住宅の下の階の住人が、少しでも物音がすると大声で怒鳴りながら我が家のベランダの手すりを物干し竿でガンガンと叩くような人だった。
私は記憶にないけれど、当然怖がって泣いていたそうだ。
時には家に直接うるさいと苦情に来ることもあったそうだ。
母が「小さい子供がいて」と謝ると、その住人は「子供じゃなくてお前(私の母)がわざと物音を立てているのだろう」と抗議してきたそうだ。
そんなおかしな階下の住人に気を使い、両親はことあるごとに私に「静かに!」と注意するようになった。
ちょっと走ると「静かに!」。
ちょっと足踏みすれば「静かに!」
おもちゃを床に落としても「静かに!」
言うことを聞かないと父の拳が落ちてきた。
まだ2〜3歳の私は、そんな両親の注意の意図を汲み取れず、静かにするイコール楽しいことをしないと受け取ってしまったらしい。
物心がつくようになり、両親の言うことも理解できるようになるとその傾向はますます強くなった。
どんな時も騒がない、はしゃがない、馬鹿騒ぎしない、我慢する・・・。
おかげで大人たちからは「聞き分けのいい子」「手間がかからない子」「しっかりしてる子」と褒められた。
でもその反面、同じ歳の子供たちの中では浮いてしまった。
みんなと一緒にはしゃげない。
みんなが笑っているのに笑えない。
自分でも子供らしくない子供だったと思う。
他に考えられることとしては、両親の短期な性格だろうか。
両親ともに短期な性格でよく喧嘩もしていたし声も大きい。
子供のやることにも寛容さを示すことはなく、言葉よりも先に手が飛んでくるような環境だった。
当然怒られたくないし叩かれたくないから親の言うことを聞く。大人しくしている。
そんなこんなで小さい頃に植え付けられた罪悪感は、大人になった今でも健在だ。
こうしてある程度原因なんかが分かっても、なかなか消し去ることができない。
これまでの人生で、羽目を外す、はっちゃけるという経験をしたことがない。
かなしい哉、しようとも思えない。
もちろん、元々の性格もあるだろうけれど。
ちなみに、他人が好きなことをしたり楽しんだりすることには何の抵抗もない。
嫉妬や僻みの感情も起こらない。
だけど自分のこととなると、どうしても無理だ。
好きなことはおろか、必要なものを買うことにも若干の罪悪感が生じるくらい。
私が心から好きなことを楽しめる時が来るとは到底思えないけれど、少しでもそんな瞬間がくればいいと思う。
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