笹谷潤子さんのこの詩がだいすきで ときどき思い出しては 薄みどりのミントの色を想像してる。 わたしもこの午後のような時間をいくつか持っている。 それを時々反芻して 生きていけるんだとおもう。 幸せだと心から思えるような時間があったことは わたしの人生の支えであり これから、その時間をあと何回迎えられるだろうかという希望は 生きる糧でもある。
今年の夏、北海道に3泊4日で旅行に行った 私は九州うまれ九州育ちなので 高校生くらいまでは北海道なんて別世界だと思っていた 偶然 大学生活をほとんど共にした恋人が北海道生まれの人だった それで2年前、初めて北海道に行って、北海道に住む人たちにたくさん出会った 初めて吸った北海道のおだやかな空気 見たことない雪景色が忘れられない。 今回は、初めての夏の北海道 避暑だなんて言っていたけど、今年は記録的猛暑みたいで普通に暑かった でも夜中に窓をぜーんぶ開けて、虫の声だけを聞
明日早いのに眠れなくて どうにも落ち着かなくて 豚汁食べたくなってきて 豚汁は熱い方が美味しいなあとかどうでもいいことを考えながらあたためてたら あのひとは猫舌で いつもお味噌汁とか汁物を熱いって言って最後に食べてたなあって思いだした 毎日いっしょにごはんをたべてて なによりも当たり前のことだったはずなのにな 意外とそういうことから忘れてくもんかなあと ちょっと悲しくなった 寝て忘れる
くるりを聞くと、福岡にいても大学生の時に感じた京都の匂いがただよってくる 京都のにおいは わたしにとってやっぱり独特 思い出フィルターがかかっていることを加味しても 京都での日々はやっぱり全てが美しかった もちろん、楽しいことばかりだとは口が裂けても言えないくらい、悲しい瞬間もあったけど これからまた住むことになっても、もう一生すむことがなくても 多分しぬまで特別な場所だと思う。 京都にいるときは いろんなひととたくさんおでかけをした 友達とでも、恋人とでも 行く場所は