愛は共鳴し、永遠に途切れないって。
ぼくが絶対神だと感じている神様とサトミさんとの会話で植物状態の人についての記事があった。
ぼくが植物状態の人に会ったことがあるのは1人だけ。
親友のおばあちゃんだった。
元気だったときに一度お会いしていたおばあちゃんは植物状態になって病院の大部屋にいた。
2回目のお見舞い
その部屋は数年前にお見舞いに行った時と全く同じ光景だった。
10人ほどが横たわっているのに誰も動かない。
若く健康な人が横たわっている光景とは異なり
全員が枯れかかっていて個人を判別するのが難しくなっていた。
おばあちゃんに愉気してあげて欲しいとリクエストをもらい
友人がおばあちゃんの手を握り
ぼくはおばあちゃんのカラダや、冷たくなっている足に愉気をしていた。
友人は手を握りながらおばあちゃんに話しかけていた。
もちろんおばあちゃんが動くことも無いし、言葉を発することも無かった。
お見舞いを終え、部屋を出て病院のエレベーターの中で
友人がポツリと、
おばあちゃん自分のことわかってくれたかな
って呟いた。
その言葉を聞いたら、ぼくは震えだしてしまった。
だって友人が手を握って話しかけているときに
おばあちゃんの閉じている目にうっすらと涙がにじんだのを目撃していたから。
震えながら、そのことを友人に伝えたら
エレベーター内で男二人で泣き出してしまった。
神様はあのとき起こっていたことを解説してくれていた。
友人がおばあちゃんに発していた愛はエネルギーの振動だった。
その振動がおばあちゃんの命と共鳴していた。
まだ神様が説明してくれている内容に理解が追い付いていない。
神様曰く、命の根本は神なんだ。
神は居なくなることが出来ない。
存在し続けるんだ。
脳が死のうと、身体が死のうと、私は死ねない。
人間がどんな状態になろうと神という存在があり続ける限り
愛が途切れる事などないんだ。
神様の説明に照らし合わせたなら
友人とおばあちゃんとの間の愛が消えることはない。
ぼくはまだ生きていて
ぼくのおばあちゃんは亡くなっているけれど
思い出すだけで温かい気持ちになれる。
それはおばあちゃんとの愛の振動を感じているからだよね。
そこまでは理解している。
かつて経験した愛はこれから先も永遠に存在しているって。
その愛は、ぼくが肉体を捨てたあとにも存在しているって。
ふーう、今のぼくではまだ分からない。
神様が言っている内容を
知的理解じゃなくって、
分かるって感覚が持てる日が今回の人生のあいだに訪れるんだろうか。
サトミさんと神様の会話
不思議なことに読み返すたびに震える文章が日々変化していく。
そして何より心地いい。
温かく、懐かしい、感覚に充ちていく。