「with あの日」
今日、仕事中にカレンダーをみて、9.11、アメリカで同時多発テロが起こった日だと気がついた。
何の気なしに、
「今日は9.11ですねー。」とつぶやいたら、
「そうだねー。月命日だね。」
と返ってきた。
そして、ハッとした。
そっか。3.11からは、9年半だ。
同じ9月11日でも、受けとる人によって、その意味合いは変わるのだ。とても当たり前なのだけど。
特に、東日本大震災によって大きな被害を受けた石巻の人たちにとっては、3月から半年という意味合いがある。
私は、やっぱり震災を生きていないのだと、改めて感じた。
毎日目にする津波の浸水域看板や日常的に出てくる「震災前は/後に」の言葉、それらによって私は「震災を生きている」となんだか勘違いしてしまっていた。
穴があったら入りたい気持ちだ。
「あの日」を語る人たちは、今も「あの日」を生きている。それは、決して消えることはない。
特効薬のない新型コロナウイルスに対して「with コロナ」という言葉が使われているのをよく耳にするが、9.11も3.11も、8.15も8.6も、毎日「あの日」を生きている人たちは「with あの日」なのだ。
消えることはなく、「あの日」と共に生きている。
それは、どんな「あの日」でもそうなのだ。
「あの日」と語られる何かと、私たちはともに生きている。
そして語られる「あの日」は、みんなそれぞれ違うのだ。
私は、9.11も3.11「あの日」と語ることはない。私は誰かから見聞きした「その日」を語ることしかできない。ともに生きてはいないのだ。いくら、ここで生活したって、分かった気にしかなれないのだ。
語られる「あの日」を経験するということは、それだけのことなのだ。
風化とは、あの日を生きてない人たちの言葉だ。
日常の、ほんの二言だけの会話だったけど、そんなことをとても感じた今日だった。
すごく些細なことだけど、こういうことを残しておかないといけない気がしたので、眠い目をこすって、記しておいた。
私が語る「あの日」はいつだろう。
にしても、9.11について話されていることが少ないのは気になる。当時9歳の私ですら、衝撃だった大きい出来事だったのに。