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DIC川村記念美術館へ
久しぶりに千葉県佐倉市にある、DIC川村記念美術館を訪れました。
(当初2025年1月下旬より休館することが発表されましたが、発表後来館者が急増したことにより、休館開始予定が2025年4月1日からに延期することが発表されています。)
20世紀美術コレクションを中心とした豊かな作品群、里山の地形を生かし、季節ごとの美しい変化が楽しめる自然、設立者である川村 勝巳氏の盟友であるという建築家 海老原 一郎氏がデザインした建築。
何度も訪れてきた美術館です。
休館することを知ったときは、驚き、自分の中でずっと閉まることなく開かれていると思っていた扉が、静かに、閉じられたように感じました。
そこは、私にとっては、美しいお伽話にでてくるような、幸せな夢の中に出てくるような、よきものだけが存在する、小さなお城のような場所です。
木々が生い茂る小道を抜けると現れる、夢のような場所。
あの美術館がなくなってしまう。
絵本を手に取り、頁をめくれば、いつでもそこにあるように、永遠に変わらず、静かに美しく存在している。
そして、穏やかに誰をもあたたかく迎え入れてくれる場所。
そんな風に思い込んでいました。
休館のお知らせを目にして、ずっと変わらないことはないのだということを思い出しました。
数年ぶりに訪れたその場所は、美しい自然のなか、変わらず、何ものからも超越して、ただ静かにあたたかく、存在しているように思えました。
サイ・トゥオンブリー、エルズワース・ケリーの作品に心を掴まれ、慰められ、今日来ることができて本当に良かった、と心から思い、広い館内を歩いていました。
それでも。
作品の中に深く入り込んでいる間、展示室から展示室へ移動する通路の窓から見える、建物の外観と青空を見あげた時、窓から注がれる柔らかな光を受けながら歩む間も、ずっと、もうお別れなんだ、この、奇跡のような空間が失われてしまう、と、そのことが重く心を覆っていました。
どれだけの人が心を砕いてこの場所をつくりあげ、守ってきてくれたのだろうという、感謝の気持ちとともに。
現在開催されている、企画展 「西川 勝人 静寂の響き」展 展示室。
その、入り口に掲げられた、館長の生嶋 章宏さんのことば。
生嶋さんが紡がれたことばの一つ一つが、大切に育てられた、美しく柔らかな、白い光を放つ真珠たちのように感じられました。
どんな思いでこのことばを選んだのだろうと、込み上げてくるものを抑えながら、何度も繰り返し読んでから、展示室へ入りました。
白色、と括ってしまうにはあまりにも多彩な陰影をもつ作品たち。
いつも、心に響くのは、祈りを形にあらわしたように思える作品です。
できることなら。
その、曲線の美しさや、素材のもつ、冷たさ、あたたかさ、儚さ、堅牢さ、込められた思いに触れることができたら、と思いながら長い時間を過ごしました。
私は小さな頃から、聞き分けのよいこどもだったと思います。
自分にとって、目の前が真っ暗になるようなことを告げられたときでも。
もう決まったこと。
私が悲しみながら何かを訴えたとしても、周りの人を困らせるだけ、と我慢したことを覚えています。
その癖は成長する過程でも抜けることはありませんでした。
それが自分をじんわりと苦しめてきたことに気づかずに。
今、羨ましく思えるほど自分の気持ちの言語化に長けた小さな人と暮らしています。
その人は、摩擦を恐れずに、いつでも、疑問に思ったこと、感じたことなどを伝えてくれます。
納得できないことには涙を浮かべながら、こぼしながらでも自己主張することをあきらめません。
自分の気持ち、思いをあきらめないその姿勢を、尊敬しています。
その人のことをもっと深く理解したいという気持ちから、子どもの心理について学んでいます。
そして、はからずも過去の自分と向き合うことになり、過去を、そして自分の人生の歩み方、姿勢を見つめ、捉えなおしているところです。
作品に心を開きながら、ふと、自分の気持ちに気づきました。
足繁く通っていた頃ならまだしも、遠く離れた場所に暮らすようになって、一年に一度も訪れていない私が、休館をやめてほしい、このまま美術館を続けてほしいと思う資格なんてない、と自分の気持ちに蓋をしていたことを。
色々な事情があるだろうし、しょうがないこと、と無理に自分を納得させていたことを。
でも。
本当は、休館も閉館も、移転も、何一つしてほしくないと思っているし、変わらずここに存在し続けてほしいと願っていることを。
思うこと、願うことで誰に迷惑をかけるわけでもないのに。
せめて、私が自分の本当の気持ちを掬い上げ、寄り添ってあげなければ、と。
願ってもかなわないことはいくらでもあるけど、自分の中に生まれた気持ちをなかったことにすることは、自分を否定すること。
それはもうやめようと思っていたのに。
心をやわらげ、開かせてくれる作品に出会っていなければ、知らぬ間に、また、自分の気持ちを無視してしまうところでした。
そう、本当は、休館することを知ったときから、ダバダバと心から涙が溢れていました。
まったく美しくない表現ですが、そうとしか記せません。
気づけて、良かった。
Restaurant、という言葉をたどっていくと、回復する場所、という意味からきているそうです。
私にとっては、美術館が、五感を、心を回復する場所なのだろう、と思っています。
なくならないで欲しい、変わらずそこに存在していてほしいと、心から願っています。
行くことを迷われている方がいたら、ぜひ、時間を作って、夢のようなあの場所を訪れて下さい。
「西川 勝人 静寂の響き」展は2025年1月26日までですが、最後の企画展「DIC川村記念美術館 1990‐2025 作品、建築、自然」展は2025年2月8日から3月31日まで展示されるそうです。
敷地内にある、林の中の散策道を歩かれる方は、一枚多く着込んで、マフラーと手袋もどうか忘れずに。
26年前に出会ってからずっと変わらず美しい場所。
同じく26年前にフンデルト ワッサー展で巡りあったことば。
そのことばに今までどれだけ背中をおしてもらってきたのか、わかりません。
いつも美術館へ向かうとき、思い出しています。
「美術館へ向かうあなたの足取りが描く線は、その美術館の壁面の絵の線よりも、はるかに貴重でまた楽しい」
できれば一人でも多くの方にあの場所を訪れて、記憶にとどめてもらえたら。
そう思い、昨年からずっと書きたいと思っていました。
長い文章を読んで下さって、ありがとうございました。
皆さまにとって、よき一年でありますように。