スーパーターボ理不尽
父が乗っていた車は、どこかが壊れていたようだ。低速になると、カラコロと音がする。当時は集合住宅に住んでいたので、駐車場で車の音がしても、どこの車かは判らない。しかし、カラコロと音が聞こえてくると、弟と一緒に「あ、お父さんが帰ってきた」と、窓から顔を出していた。
人生には車の思い出が付き物だという気がする。両親が乗っていた車。教習所。親の車を借りて、友だちとドライブ。自分で初めて買った車。パートナーとの旅行。チャイルドシート。交通事故。そう、交通事故。それ以来、嫌になって車を運転するのをやめてしまった。
自分がどんなに気をつけていても、交通事故には巻き込まれる。その時は、スマホを操作しながら自転車に乗っていた高校生が、ありえない角度から、ありえないタイミングでぶつかってきた。警察を呼んだところ、当然、車に乗っているこちらが不利な立場に立たされる。
親戚が交通事故にあったばかりで、猛獣のいるジャングルの中にいるかのような周囲に対する注意力を発揮していた。それでも、事故は防げない。状況証拠的に、高校生がスマホの画面を見ながら猛スピードで突っ込んできたのは明らか。それは警察官も分かっている。分かってはいるが、調書を作成しなければならない。
「道路を普通に走っていて、通行人が突如ガードレールを越えて車道に飛び出してきても、ぶつかったら車に非があるんですよ」「法律が古いので、仕方ないんです」挙げ句の果ては、「納得できなくても構いません。理解してください」と。現場の警察官にこんなことを言わせるシステムって…
どっと疲れてしまって、前方不注意だということにして、虚偽の調書作成に協力することになった。早く解放されたい。時々ニュースになる自白の強要は、こうやって起こるのだなあ。
車の中というのは、本来、快適なパーソナルスペースで、圧倒的なホーム感がある。だから、色々な思い出が生まれるのだろう。そこに理不尽が介入してくると、息苦しくなったスペースから逃げ出すより仕方ないのだ。
今回のテーマ「車(ネガティブ)」
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