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マンチェスター・バイ・ザ・シー
はじめまして。
某ブログをやっていましたが、どうも発信しずらさを感じたためこちらに移ってきましたchi-hanaと言います。
自己紹介は改めてするとして、今は日々の頭の中のアウトプットが最優先と思い、こちらをその場として選びました。
どうぞよろしくお願いします。
さっそく、昨日観た映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の感想を。
※ネタバレ含みます。
きっかけはNHKで放送されていた『ジェシー・ジェームスの暗殺』の後半をちらっと観て、ケイシー・アフレックに驚いたこと。
それまでの彼のイメージは
『グッドウィルハンティング』『オーシャンズイレブン』シリーズから
お兄ちゃん(ベン・アフレック)やお兄ちゃんの親友(マッド・デイモン)と一緒の作品ばかり出ている甘えた弟
というかなり失礼なもので、自分の大好きなブラッド・ピットに負けない彼の存在感に驚いたから。
そこから彼の名前を検索し、アカデミー賞を獲ったこの作品に辿り着いたというわけだ。視聴はアマゾンプライムで。
作品の前情報なく観たのだけど、内容はかなり重いものだったが文句なく良かった。
ケイシー演じるリー・チャンドラーの過去の出来事はあまりにも重くて
それが大切な兄から託された願いだとしても、可愛い甥っ子のためだとしてもあの町にいることは辛すぎたのだろう。
『どんな出来事もいつか乗り越えられる』と言われるし
私自身、そういう『人間の再生していく力』というものを信じている。
でも、それがどういう経緯で、どんなタイミングで、どれだけの時間がかかるか、というのは誰にもわからない。
結果的に『乗り越えられない』ということもある。
でも誰もそれを責められないと思う。
リーが映画の最後に下した決断や
甥に「乗り越えられない。辛すぎる。」と伝えるということは本当に勇気のいることだったろう。
時に『できる』と受け入れるより
『できない』と認めことの方がはるかに難しい場合がある。
そして再生は、そこから始まるのだと私は思う。
リーの甥も最初は唐突な別れにどう対処していいかわからず混乱し、
本来頼りたかった母親にも頼れないという状況から
「(リーも)自分を捨てるのだ」という思い込みに囚われていたけれど
その後リーの寝室に飾られている3つの写真を観て
彼の心中を察していたからこそ彼の決断を受けいれられたのだと思う。
彼が失ったものの大きさはもちろんだが、
自分自身ですら許せない過失が法的になんの罪にも問われないことが
どれほど人を苦しめるのか、ということを考えさせられた映画だった。
最初、彼はどうして仕事中あんなに感じの悪い態度をとるのか、なんで酒場で因縁をつけたりするのか、私には理解できなかった。
でも、今はわかる。彼は罰せられたかったのだ。
自分には人に好意を持たれる資格などない、愛させれる資格などない、とあえてあのような態度をとり続けたのだ。
結局、リーは以前住んでいたボストンに戻るのだけど
甥っ子との今後の繋がりから
またあの町に時折でも帰れるようになってほしい、
そしていつか自分のことを少しでも許せる日が来てほしい、
自分に向けられる優しさや愛情を受けとれる日来てほしいと思う。
当初、リー役は製作者の一人でもあるマット・デイモンだったそうだ。
でも、スケジュール的に無理になったためマット自身の推薦で
ケイシーにこの役が来たそうで、結果的にはそれが功を奏したのだろう。
あたり前だけど、ただ『親友の弟』ということではなく
彼の役者としての才能を十分に理解した上でのことだったわけで。
そうだよね、お互いプロなんだから。
今までのケイシー・アフレックに対する自分の勝手なイメージを
良い意味で覆され、驚き、猛烈に反省した作品。
まだ観ていない方、お薦めです。