第4章 ハード面の計画
便利なAI達でハード面計画
ガラケーからスマホへの挑戦!
母に『孫たちにビデオ電話ができるよ』とススメてみた。当時は困惑していたがそのうち慣れるだろう。。。
まぁ時間はかかったものの”八十の手習” なんとかLINEまで出来る様になった。
いくつになっても学ぶのに年齢は関係ないな!と、関心すらした。当時母は孫たちとLINEでの(LINEの意味すら理解してなかったが)やりとりを楽しみに、一生懸命学ぼうとやる気満々だった!
発症してからの母はとてもイキイキしていた。少なからず、この世に未練を残したくないと言う気持ちが強くなるのか。年老いてから新しいことにチャレンジすることはとても大変なことだと思う。しかもアナログからデジタルへの挑戦!!
ある意味、発症したことで生命の尊さを彷彿させるのだろう。やがて、半年から一年近くかかったがLINEが使いこなせるようになり、孫や知り合いとのやりとりがとても楽しかったようだ。
父と過ごしていた時との母からは想像できない
スマホができるようになると次はロボット掃除機。最初はかなり驚いていた!と、いうより怖がっていた。丸い物体が床を這いつくばって動き回り、音が鳴ったり、喋ったりするものだから稀有な物でも見るかのような表情だった
ロボット掃除機購入は私が後々介護(快護)が大変になっていくだろうを想定してのこと。それと母にデジタル生活に慣れてもらうための訓練(試練(笑))でもある
ルンバ
ブラーバ
視力低下や、ADL(日常生活動作)の低下を考慮して生活に溶け込ませ便利さを体感してもらうことが、我流在宅介護(快護)の意図でもある。
次は。。。
そう、見守りカメラも準備しなければとその時期に買い揃えた。
初代camera https://youtu.be/FzalxoRTGCA
ハード面から計画が始まった
視力低下イコール転倒は免れない。手すりはつけなかった。
手すりは凶器になる?
知人の友人で介護をされている方が「手すりは凶器になる時もあるから〜」と、言われた事が教訓。その方の母親が、手すりに手をかけ損ね体のバランス崩して頭を強打したことによる脳挫傷。そういうこともあるんだ!何のための介護補助器具だろう!!勿論、例外であるが。
しかし、母の場合、いずれ視力が低下し見えなくなることを考えると、手すりは逆にいらないような気がした。case-by-case!母と話をし結果、手すりはつけない方向できめた。
ドクターが言うには歳を取ると、見かけがいくら若く見えても体の中の細胞は、ボロボロだそうだ。要するに細胞や筋肉は年齢とともに老化していくということ。ちょっと、腕を引いただけで骨折、ちょっと打っただけで骨折、内出血は当たり前。本人に自覚がないからこれまた厄介。なので周りが目を離さないようにしないといけない!と、諭されたそうだ。
ちょうど、赤ちゃん👶や子ども👧が、目を話した隙に怪我するのと全く同じ事
介護される側の思考を変える
当人(介護される側)の考え方まで変えるのも介護の役割(課題)だと思った
医者や看護師の役割は治すことではなく、専門的知識や技術で治癒に生かすこと。又、教示し諭すこと。そう考えると治癒は当人にかかってくる。その責任はやはり当人は勿論身内にかかってくる。
特養で勤務していた頃、それなりに家族の事情もあると思うが施設に入居させたらそれっきり面会に来ない家族をみてきた。また、そういう家族に限り文句をいう。クレーマー達を沢山見てきた。(お金払ってるんだからちゃんと世話しなさいよ!)的な雰囲気をだすご家族もいた。私は現場ではなかったが、現場の大変さは心底わかっていた。認知症になるのは当人だけの問題ではないことも理解していた。
認知症予防と脳活
幸いにして母は脳の萎縮はなかったので認知症は免れたが認知症予防も欠かさなかった。最近は脳活なる著書やドリルが沢山ある。それらを購入しなくとも普段の生活通りにさせることこそ脳活になる
例えば、
洗濯物を畳む行為、買い物、料理、読経、読書、TV、軽い運動など
それらを書き出し、どこまで元気でできるかわからないがなるべく時間に空きがないようタイムスケジュール的なルーティン計画を母とあれこれ思案。。。
母はぽつりと『よろしく頼みますね』と言った