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ロバと歩く


まだ見ぬ高原や砂漠を心の中に思い浮かべると、何もかも放り投げて、そこへ飛んでいきたくなる。

そう語る旅人が
心のよりどころにしたのは、
スタインベックの著書『チャーリーとの旅』

60歳目前で、愛犬のチャーリーとともに
アメリカ一周の旅に出た
作家スタインベック。
いわく、
「結局のところ、風来坊はずうっと風来坊なのだ。おそらく不治の病だろう」

なぜ、性懲しょうこりもなく旅に出るのか。
その返答に窮した旅人は、
作家の言うように病気なのだと思うことで、心を軽くした。

選んだ旅のスタイルは、 “ ロバと歩く ”。

旅はイランからはじめた。
シラード近郊の牧場主が手配してくれた
オスのロバを買って。

ロバのペースに合わせて、ゆっくり歩こう。

そう心に誓ったのは、
無理をいて、死なせてしまったからだ。

イランでの2頭には、名前をつけなかった。
トルコで買ったロバに名前をつけたら、
親しみが格段に増して、特別な存在になった。
モロッコのメスのロバには、
スーコと名づけた。

 『ロバのスーコと旅をする』高田晃太郎
  (河出書房新社)

気まぐれで、食いしんぼうで、
しょっちゅう道草を食べようと立ち止まるので、なかなか前に進まない。
そんなロバと歩いた日々と、
そこでの出会い。




この本を読み終えて、
久しぶりに読みたくなったのは、この1冊。

 『プラテーロとわたし』
  J. R. ヒメーネス  
  訳者/長南 実
     岩波文庫


スペインの詩人
フワン・ラモーン・ヒメーネス(1881-1956)は療養のため、首都マドリードからアンダルシアの町モゲールに帰郷した。
静養しているあいだ、彼を背中に乗せて歩いたのは、月のように銀いろの、やわらかい毛並みのロバ、プラテーロ。
詩人は愛情あふれる眼差しで、
優しく語りかける。
自然のことわりや、その味わい、生きものたちのふるまいや、人間のあれこれ、それに心のうちを含めた、いろいろなことを。
ときには、ないしょ話のようにこっそりと。
その日々を
138篇の散文詩で描いた詩集です。

 手綱たづなをはなしてやる。すると草原へゆき、ばら色、空いろ、こがね色の小さな花々に、鼻づらをかすかにふれさせ、生暖かな息をそっと吹きかける……  わたしがやさしく、「プラテーロ?」とよぶと、うれしそうに駆けてくる……笑いさざめくような軽い足どりで、たえなる鈴のをひびかせながら……

プラテーロ(抜粋)


詩人はロバが諷刺的に扱われていると知ると、立腹して擁護します。
いきおいのあまり、古代ローマの皇帝まで
引き合いに出してしまうほど。

…、忍耐づよく、思慮ぶかく、物寂しげで、心やさしく、まさしく田園のマルクス・アウレリウスともいうべき、きみに… (略)

アスノグラフィーア (抜粋)


旅人のほうは、
当初、ロバのことを荷物持ち程度に考えていたそうですが、歩くにつれて愛着が深まり、とりこになっていったようです。
そんな気持ちが、こちらの文章にも現れています。

草をはむスーコを眺めているだけで幸せだった。私がそばにいてもスーコはまったく気にすることなく、次々と食いちぎっていく。同じ空間と時間を共有しているという感覚が私を満ち足りた気持ちにさせるのだ。(略)
私のスーコへの想いはこの時、病的なレベルにまで達していたのかもしれない。しまいにはスーコのふんまで愛おしく思えてきた。麦や草の繊維が詰まった中身が、チョコレートのような外皮で包み込まれている。熟練の職人が生み出したような草餅みたいな趣があった。雨にしっとり濡れた草餅を見るたびに、どうやったらこんなに美しいものを生み出せるのだろうと不思議な思いに駆られた。

『ロバのスーコと旅をする』第3章より


詩人と旅人、どちらの想いも微笑ましくて、あたたかい気持ちになります。
旅も人生も、そのとき誰と過ごすかでまったく別のものになりますが、こんなふうに思える出逢いがあれば、それはきっと豊かなものに違いありません。


10回目の投稿です。

はじめたときは10回くらいで、好きな本の傾向がおおまかにでも示せればいいなと考えていましたが、いろいろな方の記事を見ているうちに、その好きの分野がどんどん広がってきています。

おもしろそうな本は、山積みです。

本を読むのが遅いうえ、文を書くのにも時間がかかってしまうので、ゆっくりとした更新になりますが、また読んでいただけると幸いです。


あなたと、あなたの大切なひとが、
今日もすがすがしい1日をおくれますように

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