文系科目を学ぶ意味がわからない
今回の選挙の投票率の低さを見て、政治に興味を持たない人が多いというのは、中学・高校での政治の授業自体に問題があるのではないかと思った。
そこで、そもそもは文系科目自体がどうなのかと考えるのだが、
まずは国語。
言語というのは時代とともに変化するものなのだろうが、最近の誤字・脱字・誤用も含めた変化はもはや日本語の根幹に関わるのではないかと考えたくなるレベルでひどいものだと思っている。
一体、国語の授業は何をしているのだろうか。
英語
日本では6年以上も英語の授業がありながら、英語で会話をできる人がほとんどいない。基本的な英会話であれば、1年もたたずにできるようになる人がいるし、授業で扱わなくても必要だと思う人は自分から勉強するのだから、6年間の学校での英語の授業は意味がない。翻訳ツールも進化しているのだからなおさらである。それより国語をしっかり学んだ方が良い。
そもそも、日本が技術、研究、開発、ものづくり、サービス、文化等の面で最強になれば海外側から日本語を勉強するようになる。そういう方向になるように政治も含め力を入れるべきだし、日本人にはそのポテンシャルがあると個人的に思っている。
すでに、マンガやアニメなどのいくつかの文化面ではその傾向が見られるのは周知の通りである。
社会
地理・歴史はそのほとんどがクイズや知識マウントに使われるくらいで本当に役立てている人はどれくらいいるのか疑問でしかない。政治に関しては最初に書いた通り、投票率の低さから言って全く意味のないもになってしまっている。
よく理系科目は実際にどのように活用されているのかわからないから興味が持てないという人がいるが、それは理系科目に当てはめるのではなく、政治の授業に当てはめるべき。
職種
政治家、官僚、経営者、マスコミ。
高偏差値の文系学部出身者がつく職種として代表的なものだと思うが、これらの職種の人たちは日本を壊そうとしているようにしか見えない。
他に、弁護士は加害者の減刑を試み、裁判官は外国人の容疑者を不起訴、あっさり釈放などしている。
こういう人たちが口癖のように使っている言葉がある。
「世界では~」
「世界基準では~」
それが本当に良いことなのか、日本にとって良いことなのかを考えることもせず、世界がそうだからという理由でそれが正しいことだと短絡的・盲目的になってしまっている。現状ではそれらのほぼすべてが日本の治安の悪化につながってしまっている。
もはや文系科目は学ぶ価値を疑うレベルで日本・日本社会に貢献していないように見えてしまう。
個人的な結論を言えば、文系学問・文系科目は重要だと思っているが、今の状況は明らかに間違っていると思っている。
授業にせよ、仕事にせよ、もっとやり方や考え方を変えるべきだろう。
仕事面に関しての考え方はシンプル。
搾取的なことをやめ、日本がより良くなるためにはどうすればいいかを考えればいいだけ。多様性の時代ではあるが、日本が良くなるためということを考えると、ほとんどの人の考え方は基本的には同じになるはずである。
とは言え、言うは易く行うは難しかもしれないが、現状は日本のためになっていないどころかマイナスの状態にしかなっていない。しかもその理由もわかっているのだから、あとは良い方向に導いてくれる政治家に投票するだけ。他の職種の暴走的な側面をコントロールできるのは政治だけであり、政治家をコントロールできるのは国民だけである。
教育・授業面に関しては、まずは英語は外部に丸投げでいい。6年以上授業で扱ってろくに話せるようにならないのだからそのほうが効果的かつ効率的。必要な人は勉強するし、そうでない人は勉強しない。それだけ。その分を国語と社会(政治)の授業に当てるべき。
特に政治の授業は、今の政治の授業がどのように行われているかわからないが、政治の仕組みや模擬投票だけでなく、どういう政策が行われ、その時の政治家が何を言って何をしているのかというのを確認し、自分たちの将来や日々の暮らしにどのように影響している(あるいは影響した)かというのを知るような形を継続的に授業に盛り込むべき(例えば、3ヶ月前はこうだったけど今は言っていることが違う、というようなこと)。
そういうことをしないからいざ投票権を得ても誰に投票していいかもわからず、政治にも興味を持たない。
文系科目の教育・授業方法は根本的な見直しが必要だと思われる。