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本名とペンネーム、2つの"名前"に思うこと

友人のnoteを読んでいて、ドキリとした。
まず、タイトルに。

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私は、本名とペンネーム両方を名乗っていて、でも最近は本名の方が前に出ているので、ペンネームは"おまけ"みたいになっている。

でも、実を言うと、去年までは本名の私は死んでいた。なぜか名乗りたくなかった。

その理由が、今なら分かる。当時は、自分には他人と関わる資格はないと思っていたから。本音を隠すことで、結局誰とも繋がれない自分が、嫌で仕方なかった。

ペンネームは(正確な表現ではないけれど)、実在しない人間の名前でもある。そっちの方が居心地よくて、本名はなかったことにしたかった。

でも、それでも、自分の名前への愛着はあった。友人の「名前」への考え方にも頷ける。

今 その人自身が名乗っている「名前」はその人にとって 生涯最も聞く音であり 誰かの想いがこもっている大切なことば であると思う。

「あなたの名前は?」より

だからだろう、ペンネームを名乗りながらも、そのうちに、本名も明かすようになった。次第に、本名とペンネームをセットで名乗り、今では本名を名乗った後、"おまけ"のようにペンネームを伝えたり、伝えなかったりする。

自分の名前を呼んでくれる人が、ペンネームを知ってくれている人が、両方を理解してくれる人たちが増えたことで、私の中のバランスがとれてきたように思う。

本名の自分がいて、ペンネームの自分がいること。ペンネームの自分がいたから、今の自分が存在していること。

このことを、素直に受け取れるようになった気がする。

でも、そんな風に思えるようになったのは本当に最近のことだ。1月に出会った友人が、ある日こんなことを私に伝えてくれた。

「"本名"さんも、"元町ひばり"さんも、どちらもいまのあなたを作っているから、尊いよ」

私には、涙が出るほど嬉しい言葉だった。

それまでは、本名の自分は"本音を話せない存在"でペンネームの自分は"本音を話せる存在"だった。ペンネームの自分の方が大事かもしれない、と思うこともあった。

でも、そうじゃない。どちらも、今の私を作っている"ことば"だ。

今、どちらかの名前を消し去れば、大切なものが消えると分かる。生まれた時からの呼び名も、自分でつけた名前も、私には同じように大切。

だから、どっちで呼んでもいいよって言う。

どっちも私だから。

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