海を漂う
なんて綺麗なんだろう……!
その時、私がマスクの下で浮かべていた表情は、息をのむ、心を奪われる、そんな言葉がぴったりだったのではないかと思います。
私は、水槽の中を漂う海月に、ただただ目を奪われていました。
友人に誘われて訪れた、久しぶりの水族館。
そこで目にしたのは、沢山の海月たちでした。
気になるものがあると、その場からなかなか動かなくなってしまいがちな私は、合計2時間程、その水槽の前にいたのではないかと思います。
友人もそれに付き合ってくれたため、お互い、黙ったまま海月を見つめたり、近況報告をしたりしました。
近況報告といっても、社会人になったばかりの私たちの話す内容は、どこか不安が滲んでいました。
先が見えなくて、不安な私たち。
その前で、ただ、上に下に、
ゆるゆると漂い続ける海月たち。
二人で話しながら、自分たちとは対極にある存在をひたすらに眺めていると、なぜだか癒されるような気がしました。
まるで、自分たちも海の中を漂っているような気がしたのです。
考えたり、悩んだり、落ち込んだり、心が上にいったり下にいったりするのではなく、その場から離れて、ふわーっと浮かぶような、沈むような。
ーーー何も考えないって、たぶんこんな感じなんだろうな、と思いました。
いつも、他人が何を考えているのかを推し量ろうとしたり、明日のことを心配したり、必要以上に気を回したりしている私にとって、その感覚は新しいものでした。
けれど、こういうものを自分は渇望していたのだ、とも思いました。
何も考えない。
明日のことも、誰のことも、自分のことも。
何も考えない。
それなのに、こんなにも自分の中の何かが満たされていくのはなぜだろう?
たぶん、自然と一体になっているからだ、と思いました。確かに、ここは水族館で、人工的な空間ではあるのですが。
でも、そのクラゲたちを見ていると、水槽にいる時と海のなかにいる時で、彼らはきっとあまり変わらないのだろうな、と思いました。
ゆるゆると漂うその姿勢は、変わらないだろうな、と。
いま、この瞬間も、彼らは自然と一体となって生きているように思われました。
そして、自分もそんな風に生きられたらどんなにいいだろうと思いました。
脳も心臓もないと言われる海月と同じようになることは不可能なのですが、もう少し流れに任せて生きられたなら……。
海を漂う感覚を思い出したくなった時は、海月の水槽の前で過ごしたこの時間のことを思い出そう、と密かに心に誓ったのでした。
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