猫カフェのペルシャ猫と佐柳島の野良猫
穏やかな瀬戸内海の波の音。高い建物なんてどこにもなくて青くて高い空。刹那の命を燃やす夏の声。クマゼミとツクツクボウシがセッションしている。目の前には黒ブチの猫が寝転んでいて、尻尾が揺れている。それはまるで催眠術の5円玉みたいで、僕を夢心地へと誘う。
何かに疲れ果てていた。
仕事?人間関係?恋?人生?過去?未来?
きっと全部だったのだと思う。覚悟のないまま社内の選抜試験に立候補して、覚悟がないからそのまま落ちた。当たり前の結果なのに、それなりに落ち込んだ。試験に落ちたという現実よりも、自分の仕事に対するモチベーションが失せかけていることに落ち込んだ。
恋愛からは逃げていた。失う悲しさを何度も受けて、手に入れないことを選んでいた。誰かを幸せにできる自信などどこにもなかった。幸せにできなかった過去がそうさせている。
疲れている。いや疲れ果てている。
大きな連休のない仕事。半年に一回貰える三連休で僕は旅に出ることに決めた。
一人旅かと寂しい溜息をつく寸前で僕は思いついた。
「そうだ、猫に会いに行こう」
こうして僕は香川県は佐柳島へ渡った。
多度津港から佐柳島行きの船に乗る。船旅は6年前の屋久島ぶりだった。港町が長閑で、潮風にどこか懐かしさを含んだ。
50分程の乗船。島へ渡る人の中には僕のような観光目当ての人、島民の人、半々くらいに思えた。デッキに出ると船酔いしそうになるが、非日常的な風を浴びたくてデッキに出る。瀬戸内海の島々が見えて、日本が改めて島国だったことを思い出した。僕らはきっと本能的に海と風が好きだ。
ついに佐柳島に上陸する。早速猫たちが待ち構えていたが、さすがの暑さで日陰で溶けていた。
ごめんね。お邪魔するねと挨拶だけして先に進んだ。佐柳島の人口は80人ほどで、猫の数は100匹以上と言われている。人よりも猫の数が多い島。いったい何匹の猫たちに出逢えるだろうか。
3ヶ月くらい前に女の子に猫カフェに誘われて行った。僕が猫が好きだと言う事実を知って誘ってくれた。猫カフェに行ったことがなかったし、猫は好きなので、その女の子に興味はなかったけれど、気持ちは変わるかもしれないし、なにより猫が好きなので断ることはできなかった。東京のビル群の中に猫カフェが入っていて、そこには優雅にたくさんのペルシャ猫がくつろいでいた。ゆったりとくつろぐペルシャ猫。何も持っていないと相手にされることはなかった。キャンディの形をしたおやつをあげる。さっきの表情が一変して駆け寄ってきて貪った。あげるものがなくなると、とたんに猫は離れておやつを持った他の人のところへいった。
僕は猫に何を求めていたのだろう。僕はそのときペルシャ猫がヒトに見えたのかもしれない。自分でもびっくりするくらい落胆した。猫にがっかりしたのか、自分にがっかりしたのかわからない。
でもそんな僕もペルシャ猫と変わらないのかもしれない。そう思った。
佐柳島は中に神社へと向かう参道もあるが基本的には海を沿うように公道があって、一周4キロもない。まっすぐと続く道をのんびりと歩く。出逢えたのは人ではなくて、猫、猫、猫だった。
途中ひとりぼっちで涼む猫に出逢った。
「やあ、君もひとり?」
島には人はほとんどいなくて、僕は堂々と独り言が言える。でもこれは独り言ではない。猫と話している。
「そうか、僕もだよ」
猫はにゃあにゃあと僕に話す。
「あっついね。実はトイレ探してるんだけどこの辺にトイレなんてないよね」
「そうだよね。ないよね。お腹空いてる?」
「僕を人間だと思わないで、食べものだと思われたら嫌だな。もっと言えば人間じゃなくて僕と認識して欲しいんだけどさ。僕らってメリットがないと惹かれ合わないのかな。ごめん、めんどくさいよね」
猫はニャアとだけ言った。そのニャアは「めんどくさい」に聞こえたけれど、猫は離れなかった。
「君と思い出の写真を撮りたい」
「それは君とだから撮りたい。いい?」
スマホをスタンドに立てて動画を回す。一緒に海を見ようよ。君は見慣れてるかもしれないけどさ、僕と見る海は初めてだろ。そう言って一緒にこの穏やかで綺麗な瀬戸内海を眺めた。
お礼におやつをあげた。猫は美味しそうに食べて身体を僕に寄せた。これは猫カフェでペルシャ猫におやつをあげたときとまるで違う感覚だった。
島に1つしかない宿泊施設ネコノシマホステルに一泊して、次の日を迎える。早く目覚めてしまってカーテンを開けるとそこには太陽が昇り始めているところだった。
わあ。
太陽が昇ることを1日が始まることとした、人間。それは地球上どの土地の人間にも備わった概念だ。古代ネアンデルタール人も、アマゾンの未開拓地の民族も、令和の日本人もそうだ。今日が始まる。
僕はまた始められるだろうか。仕事も恋愛も。
「猫みたいだね」
1ヶ月くらい前に知り合った女性にそう言われた。マイペースなくせに抜けている。自分でやらせて欲しいのにやらかす。縛られたくない。そんなことを言ったら、「めんどくさいね、猫みたいだね」と言われた。
彼女に会う度に僕は卑屈な心をさらけ出した。そして最後には「めんどくさいよね」と僕が言って、「めんどくさいね」と彼女が言う。
でもめんどくさいと言いながら彼女は話をずっと聞いてくれた。それがすごく嬉しかった。
佐柳島を出ようと船を待っていると、乗る直前に猫が走ってやってきて、僕を抱きしめた。
おいおいこんなベタな見送り方映画でもやんないよと思いながらも、愛おしくてたまらなかった。うんうん、寂しいね、また来るよ。そう言って頭を撫でる。
佐柳島の猫たちに逢ったら、会いたくなった。僕に「猫みたいだね」と言った女性に。
新幹線で新横浜まで戻る。神奈川の街でその子に会った。土産話をして、撮った写真を一通り見せる。そしてどうしても伝えたかったことを言った。
めんどくさいって言って話を聞いてくれてありがとう。あなたの前では本来のめんどくさいままの自分でいられます。それがすごく嬉しいです。
ビルが並ぶ街がキラキラして、窓に反射している。彼女が優しい声でめんどくさいねと言う。
僕は嬉しくて笑った。
*カメラKodak i60
iPhone 11 pro
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