VS芸術2024秋in箱根ポーラ美術館
さみしくなったので美術館に行った。
自分がだめになったときにはスパイスがいる。ただスパイスは空から勝手に降ってこない。自分から何かを食べて、これスパイス効いてたんだねと気付くしかない。
2024年秋、初めて箱根ポーラ美術館に行こうと思った。美術館自体行くことが初めてかもしれなかった。予備知識がないままに箱根登山鉄道に揺られる。ルックバックのサントラを聴きながら、森を見つめる。自然と音楽が調和していることに感心する。自然ほど調和がとれているものはないはずなのに、今や完璧なる自然はどこにもなくて、人間の手が介されている。それでも人工物と調和しているこの世界もときに感動するほど美しいものがある。芸術とは人が創造したものである。これから目にするものはそういった人類の存在そのものなのだろうと胸を膨らませる。海外観光客、カップル、ファミリー。ひとりの人間が見当たらない。自分の部屋がいつもひとりぼっちを守ってくれていることを忘れないようにしたいとふけているうちに、強羅駅に着いた。
無料シャトルバスでさらに山の中へ進み、ポーラ美術館に着いた。
現在、ポーラ美術館ではフランスの芸術家フィリップ・パレーノの展示会が行われていた。
この空間を水槽に見立て、空中を自由に泳ぐ魚のバルーンアート。芸術の空間の中に身を投じることで、開放的な空気や時の流れを感じる作品ということらしい。魚の目はどこか虚だった。魚と鳥だったらどっちになりたいだろうかと余計なことを考える。パレーノのために鳥は臓器がヒュンッてなる瞬間が多そうだから魚にしとこうと思う。
他にもたくさんのパレーノ作品が展示されてあったが、まるで意味はわからなかった。SF世界に入り込んだ気分になって、照明を使ったアートはストレンジャーシングスみたいだった。
やっぱりガイドがないと、芸術を味わえないのではないかと落胆し始めていたときに、「あなたがいいと思ったものがいいものなんだよ」と昔人に言われたことを思い出して、自分の感性だけを価値観の軸に置いて見て回ることにした。
それでようやく、目にとまったのは絵画の展示にあった一枚の絵だった。ピカソの「海辺の母子像」。青を基調とした背景に、我が子を抱く母親。少し暗い静けさの中から、得体の知れぬパワーのようなものを感じて、思わずこの絵は好きなのだなと、勝手に決めつけた。
芸術の秋は、よく分からぬままに終わった。何が美しいと思うのかは、哲学なのか物語なのか、感覚的なものなのか。
芸術がわかるようになりたいというのは間違った感覚なのだろうか。芸術は感じるものなのだろうか。じゃあ幸せも??
すべてをわかろうとする強欲な自分を叱りつけて、その思考を僕の芸術とすることにする。