「無知は勤勉の母」…資本は考えない労働者を追い求める。労働者は、考え、対抗する力をつけなければならない
『資本論』12章、マニュファクチュアの学習から
マニュファクチュアでは、労働者を分業体制に組み入れて生産機構の一部分の作業にのみ従事させることで、全体が効率的な生産となります。その際、労働者は自分では何も考えず、1つの作業をひたすら続けるようになり(そのことで多くの労働者の不具、不全を生み出す)、何も考えられないようになるのです。マルクスは、その作業場では、人間の精神活動が労働者から切り離されて資本家のものとなり、今度は労働者を支配するものとして労働者に対立するものになる、と表現しています。
続いてマルクスは、A・ファーガスン(アダム・スミスの師匠らしい)の言葉を引用します。
「無知は、迷信の母であると同時に勤勉の母である」「マニュファクチュアがもっとも繁栄するのは、人々がもっとも精神力を奪われて、作業場が・・・人間を部品とする1つの機械とみなされうるようになっているところである」
さらに、実際にマニュファクチュアの一部では、普通の人が嫌がってやらないような作業に好んで知的障害者を使用したと述べています。「確かに、文句もいわず、言われたことをやるという労働者は、資本にとってはありがたい。ちょっと例えが違うかもしれないけど、知的障害をもった女性が性的搾取されているって話も聞くけど、それも似たような話だよね」と議論になりました。
アダム・スミスが、本来人間は仕事の中で精神的にも発達するはずなのに、資本主義的分業に組み入れられた結果、労働者が愚かで無知となり、単調な生活を強いられて肉体的エネルギーも削がれ、労働者としての力も弱まっていく、だから国家予算で国民教育を施すべきだと主張したとのこと(マルクスは、その主張のかなり控えめなのが不満のようですが)。それに対して資本家側からは、「労働者に教育をというのは馬鹿げたことだ!労働者から精神的活動を切り離すことこそ、社会を発展させるし、この先の発展に欠くことができないものなのだ」と反論が返ってきたというのです。考えない労働者こそ、金儲けになるのだというわけです。
マルクスは、マニュファクチュア的な分業は、社会の発展(効率的な生産、その後に現れる機械生大工業)の土台だという側面をとらえつつ、一方で「文明化され洗練された搾取の一手段として現れる」と、いつもの調子で、資本主義の告発を行なっています。
考えることを許されない、考える余裕などない、といった現場で働いている人も多いのではないか。長時間労働でヘトヘトになり、ただ寝るだけのために帰宅するような毎日を送っている人もいるだろうし、休日はずっと寝ている、テレビただ漫然とみてるだけ、スマホをみながら寝落ちするの繰り返し・・・難しいこと聞きたくない、本も新聞など読む余裕もない、そういった知的探求などとはおよそかけ離れた生活になっている場合も多いかと思います。
その意味で、労働組合などが、作業に余裕をつくるように現場でたたかうこと、残業をさせないという主張をすること、時間外労働の割増賃金率を5割増しとか10割り増しとし残業を抑制するルールづくりがとても重要です。「いや、そんな綺麗事ではやってられないよ」という現実があるのも事実だとは思います。どんなに条件が悪くても、仕事にありつけること、とにかくお金が必要だという事情のもとでは、労働条件の悪さに文句など言えない場合がほとんどだからです。
しかし、やはり労働者は、理不尽な事柄に対して文句を言うし、職場条件の改善のために声をあげて行動することが必要です。人間的生活を回復するために5分でも10分でも労働時間を短縮するためにたたかうこと。それが「文明化され洗練された搾取」に対抗することの一歩ではないかと思います。
この2年ほど、民青(共産党を相談相手にする青年団体、日本民主青年同盟)の若者たちと、『資本論』やマルクス、エンゲルスなどの科学的社会主義の文献を少しづつ学習していますが、毎回の学びで、現実社会で起きる人間破壊や搾取の仕組み、地球資源を浪費し続け成長を追い求める資本主義の本質に迫ることができます。だから、人間らしい社会や働き方を奪っているものに対して、どのようにたたかうべきかの根幹が集団で深く議論できるのです。この学びが、一人ひとりの若者たちの、たたかう力を高めていくことにつながると確信しています。
一言で言えば、資本は利潤最大化のために、考えず文句を言わない従順な人間の生産を追求するのです。だったら私たちは、学び、考え、連帯し、理不尽とたたかう人間を生み出して対抗していくしかありません。
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