「下山」に学ぶ、いま、日本に必要なこと#自分ごと化対談(プロ登山家 竹内洋岳氏)<Chapter1>
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【政治とリアリティ「下山の哲学」に学ぶいま、日本に必要なこと】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
プロ登山家 竹内洋岳氏
<加藤>
今日は対談の第2回目、前回の中村桂子さんに続いてプロ登山家の竹内洋岳さんにおいでいただきました。構想日本は20年余り前から活動を始めてている、政策シンクタンクです。政策シンクタンクというのは、私は今でも日本に一つだけじゃないかなと思います。竹内さんはプロ登山家としてはおそらく日本でただ一人。共通点のある竹内さんの話を伺います。
竹内さんはプロ登山家であり、日本人で初めて、また唯一8000m以上の山、世界の14座全部を登頂されました。世界でも40数名…というという方です。
去年「下山の哲学」という本をお出しになりました。
この「下山」というのが非常に面白いと思うんですね。
私も変わったタイトルで、『ツルツル世界とザラザラ世界 世界二制度のすすめ」という本を作りましたけれども、それに通じるところを中心に、お話をさせていただきたいと思います。
<竹内>
加藤さんと話すと新しいことを知れますし、自分の思っていたことが加藤さんの今までの知恵と経験を通じて、また自分に返ってくるような感じがしまして、すごく楽しみにしてきました。
ご著書を拝読しました。面白いところや、気になるところは全部付箋を貼ってきて、今日全部質問しようかと思っていたところです。
まずは、この『ツルツル世界とザラザラ世界』というのはすごく面白いタイトルですね。なぜツルツルとザラザラに分けてみたんですか。
思ったより世の中は広かった ツルツルとザラザラに分けた理由
<加藤>
自分の頭の中で、ツルツルザラザラと、いつからか出てきていたんですね。ツルツルとは、我々が住んでいる今の世界。東京はその典型です。世界でいうと先進国、経済でいうと自由化すること。
もっと自由化をして、外国のものが安く買えることが生活にとっても、経済成長にとっても良いことなんだからどんどん進めていこうという時流だった。確かに良いことはたくさんあったけれども、ツルツルにしたおかげで、マイナスもたくさんあるんじゃないか。
世界中で最も言われているのが地球環境の問題、温暖化の問題です。あれはツルツルにして、経済成長を優先した結果、そのツケが出てきている。私はそれ以外に、たとえばもっと身近なところでいうと、引きこもりやニートも同じだと思います。
世の中がツルツルになったから動きが速すぎて、ついていきにくい人たちがたくさんいるわけですよね。その人たちが直面しているのが引きこもりだったり、鬱だったり、あるいは肩こりだったりしていろんなところに出てきている。
ツルツルをいっぺんにもとに戻すといろんな問題があるわけですから、ツルツルとザラザラを共存、選べるような仕組みは作れないか。それは作れるではないか、ということを書きました。
<竹内>
読んでみて、本に書いてあるように、過去の日本の、世界すべてが、ザラザラをツルツルにしていくことが良いことだというような歴史的な流れがあって、たしかに私達もツルツルのほうが良さそうだなと思っている。
加藤さんは、どちらも優れたものだとして捉えられていますよね。だけど世の中は、ザラザラを捨ててツルツルの方にどんどん移行してしまっている。もう一度ザラザラを、本来はツルツルになる以前の、優れた部分を取り戻さなきゃいけないということが書かれている気がしますね。
ただ、この本でツルツルのことを、否定的に述べているところが随分あるような気がするんですよね。加藤さんがそもそもツルツルの代表者、エスタブリッシュメントに属する人というようなイメージがあるのですが、そんな加藤さんが何故、ツルツルとザラザラの2つの制度、世界を共存させていこうという本を書かれたんでしょうか。
<加藤>
私がツルツル世界の典型かどうかは、自分ではよくわからないんですけどね。私は学生の時から、今後の最大の問題は環境問題だと思っていたんです。1972年くらいから、ツルツルザラザラという認識は、なぜかあったんでしょうね。
ただ、役所にいる20年余りというのは、ツルツル世界を進めることを仕事にしてきたと言えなくはない。
しかし、役所を辞めて構想日本を始めてみると、それまで20年間、大蔵省、今の財務省にいて、わりあい金融が長かったんですが、金融世界の主な人と必要なことは話をしている。大事なことは全部わかっているつもりだったんですが、いざ辞めると、世界はこんなに広かったんだと知りました。
企業経営に携わっている人、政治家、官僚など優秀な人はいっぱいいます。ところが、優秀という言葉で表せないようなすごい人、あるいは本当に優れた人とかがいる。こんなに世の中は広かったんだというのが、辞めてしばらくしての感覚なんです。
もともとツルツルに対する懐疑、疑問は学生の頃からあったんでしょうけども、役所を辞めてザラザラ世界の人と接するようになって、そのことの大事さというものを強く感じたのかもしれないですね。
効率化だけでは測れない 社会にとって必要なもの
<竹内>
加藤さんには職人や農家、研究者の方、歴史や、遺跡、美術品や工芸品への愛着と敬意をすごく感じます。そのあたりの興味は、やはりザラザラの部分が…。
<加藤>
そうでしょうね。ツルツルというのは、経済中心で、経済成長を重視する。今年が10なら、来年は12、再来年は15と大きくしていくのが大事。そのために必要なツルツル化ですよね。自由に、もっと効率よくするという視点なんですね。それは頭の中で考えた、人為的にこういう仕組みにしていこうということなんです。
ところが、例えば大工。木を削ろうと思ったら、同じ杉の木でもどこに生えていたかで、削った感じが違う。家を建てるにしても、漆にしても革にしてもなんでもそうでしょう。アートの世界もそういうところがあるでしょうし、これは頭の中で考えて、そのとおりにはいかないわけですよね。
料理や菓子職人も同じで、同じだけ砂糖入れても、その日の天気によって味が違ってくるという話はよく聞きます。やっぱりその部分というのは、どんなにAI化しようが、IT技術が進もうが残る。ちょっとした味の違いとか、それは人間にとってすごく大事なことなんじゃないか。
料理をつくる側も食べる側も、両方にとってその感覚というのはすごく大事なんじゃないか。それがなくなると、人間のいちばん大事なところが消えていくのでないかという、そういう意識はいつもあり、大切にしています。
まさに竹内さんの世界は全部がそれに見えるんですよね。
<竹内>
本来山登りは、やらなくてもいいようなことなんです。
職人の世界でもそうだと思うんですけど、無駄の中に新しい発見とか、新しい挑戦があるように、山登りはその際たるもののような気がしますね。
山登りは、自分で工夫し試行錯誤する。それが世の中の何かの役に立っているか、というとわからない、そんな感じの世界なんです。
<加藤>
コロナで随分、不要不急という言葉が出回りましたよね。あれも実はよくわからない。人と酒を飲んで、大きい声でしゃべるのが不要不急か。不要不急ともいえるし、それがずーっと無いと、少し、しんどい。
パチンコは不要不急か。不要不急かもしれないけど、ある人にとっては必要かもしれない。登山だって一緒だと思うんですよね。
それを言うとね、「生きるとは何だ」になってくるわけです。私たちは、地球環境問題でサステイナブル、持続可能性という言葉はしょっちゅう使っている。
人類というものの持続可能性だけを考えると、ある意味ではヴィールスが一番、効率がいい。
<竹内>
そうですね。情報だけで生きている
<加藤>
何もなく、ただ遺伝子を続けるために…これは無駄が一切ない。
<竹内>
まさに情報化ですね。
<加藤>
それでいうと、人間というのは、そもそも無駄なことをするようになった生き物だと思うんです。ツルツルにして無駄を削って、できた時間で何をしているのか。そもそも、削る必要があったのか。そういう事をもっと考えないといけない。
<竹内>
無駄の話に近いかどうかわかりませんけど、加藤さんは本の中で、文化って何なのか、何でもかんでも文化といえばいいのか、実はそれは知恵とか、工夫だったというようなことが書かれていました。もしかすると無駄があるから、無駄なことをするからこそ、こういう知恵とか工夫みたいなものが生まれてきたのかもしれない。
それをどんどん効率化してツルツルにしていってしまったせいで、知恵や工夫が見えなくなって、私達が新たに知恵や工夫をしなくなってきているのかもしれませんね。
<加藤>
コロナ禍では飲食店もそうですけども、劇場とか、音楽とかを、特にヨーロッパでクローズした。それに対してなんとかやりくりできるように補助を出したわけですね。
<竹内>
そのなかでもドイツがまっさきに、文化に対して支援を始めたんですよね。
<加藤>
不要不急かもわからないけれども、生きていく上で、文化というものは不可欠のものだということを言っていました。日本では当時、余裕があれば文化も必要だけれどもというような発言を総理がしていましたけども、そこの違いがよく出ているような気がしましたよね。
<竹内>
そうですね。
過去の自分ごと化対談はこちら
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk3-GPkMkQsCiYupO4L9rS3fQ