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さよならTwitter

今のTwitterは、昔と比べて大きく変わってしまったと思う。

もはや炎上燃料投下装置、といった方がいいくらいに、タイムラインには毎日棘のあるツイートが流れてくる。頼んでもいないのに。
そこには何万もいいねが付いていて、リプライ欄には信者からの賛同の言葉、引用RT欄には逆張りに近いような、ツイート主への非難の言葉が書かれている。

私が女だからなのかは知らないが、旦那や子育ての愚痴、ジェンダー関係のツイートが多く流れてくる。そのほとんどがポジティブな内容ではなく、棘のあるネガティブな言葉で「バズ」を狙うものばかりだ。
私は、元々の性格が感受性が強くネガティブなので、そういったツイートへの親和性が高い。
いつの間にかネガティブの渦に取り込まれ、ここ数年は、一緒になって棘のある賛同や批判をするようになっていた。


かつて昔、大学の研究室で教授に言われた事を思い出す。
「あなたは、人の意見を自分の意見に合わせようとする癖がある。それはよくない癖である。」
正確には思い出せないけれど、このような趣旨の話だったと思う。
私は体の動きはとろいけれど、口がよく回るので、相手を負かすような喋り方をしてしまうことがあった。そういった姿を見ての言葉だったのだろう。
事あるごとにその言葉を思い出すようにし、人の意見を潰してしまわないように気をつけて来た。

しかし、Twitterにいる時の自分は、自分と合わない他人の意見を、何とかして自分の意見と合わせようと必死になっていた。
バズっているツイートに意見を表明している人たちは総じて私のような手合いが多く、お互いに意見を譲らず、泥試合のようになることもあった。
恐怖を感じてブロックして、鍵をかけて、何をしているんだろうと我にかえる。


こんなことはもうやめようと思った。
私には圧倒的にインプットが足りない。インプットが足りない者が、アウトプットをしようとしたところで、陳腐なものしか出せない。

そして、汚い世界の中から、わざわざ汚いものを探すより、世界に溢れている綺麗なものを探す方がよほど有意義だ。
私の感受性は、素晴らしいものを読んで、見て、感じるために使わなければいけないと思った。


ふと、岸田奈美さんのnoteを思い出した。
とても読みやすく面白い文章で、自分に起きた出来事を、棘のない言葉で表現される方だ。

私は元々活字が好きだ。文字が近くにあれば何でも読んでしまう。Twitterを続けて来たのも、手軽に活字が読めるからだった。

noteの会員登録を済ませ、岸田さんの記事を読み、泣いた。
私は感情が動くと涙が出る。こんなに感情を動かされたのは久しぶりかもしれない。棘のあるツイートを読み、暗い沼の底に沈むような気分だった私の心が、一気に晴れた。

Twitterを辞めようと思った。

岸田さんの有料記事の購読も始めた。まだまだ読み切れていない分を、これから読むのが楽しみだ。
noteでは色んな人の書いた記事が読める。
Twitterでは半強制的に棘のあるツイートを読まされていたけど、noteなら自分の読みたい記事を選べる。
棘のない言葉で綴られた文章を沢山読み、自分の知らない世界で起きている出来事を、身近に感じたい。


そういうわけで、noteを始めてみることにしました。よろしくお願いします。

飽きっぽいけど、なるべく続けていきたいな。