#習作 湯気と蒸発
もう何百回も、貧相なこの借家の薄汚い浴室でシャワーを浴びているはずだった。それでも私は、その時々で、いったい自分が何を考えてていたのか、何に追われて、何に悩んでいたのかをまったく覚えていない。絶対に、毎日、何かを考えながら髪を洗っていて、剥がれていやしないかと「爪」のマニキュアを丁寧に見ていた。きっとそういう日々だった。そうなのだと思う。
思い出せないということは、私にとってそんなにも、とるに足らないことを考えていたのだろうか。いや違う。やっぱり、コウちゃんと一緒に、この浴室に入った時のことも覚えている。一人暮らしを初めて、最初に買った脱毛クリームを使ったこと、そしてコウちゃんが高い位置に設置したシャワーを私が背伸びしてシャワーに手を伸ばしたときのこと、ちゃんと覚えているよ。でも、コウちゃんが、何度か誘ってくれた近くの「富士の湯」に行くのは、どこか恥ずかしくって、1回で行くのをやめたんだった。
阪急十三にある、築20年を超えるこのマンションの浴室には、二つきちんと整列した蛇口がある。温水と冷水の蛇口を一度でピタリと適温に合わせることはなかなか難しくって、いまだに慣れない。どちらの蛇口を強く絞ったらいいのだろう。道路のクラクションが浴室まで響いてくる音が反響する。浴槽の底はヌメリとしている。あれ以来、私以外はだれもこの浴槽に入っていないせいかもしれない。足を少し畳んで湯船につかると、自然と視界は水面に落ちた。反射した電球の暖色が柔らかい。
ーーそういえば、一度、この電球を変えたこともあった。
それは、ちょうどコウちゃんと連絡を取りずらくって、仕方なく私が変えたときだった。もちろんコウちゃんは、このことを知らない。
コウちゃんと別れた数日後、私から連絡をとった。
私の家に置いているものを返したいといって、そう連絡をとった。コウちゃんの荷物といっても大学二回生の私たちとってはたいした荷物もなくって、履きつぶしたジャージやパンツ、バイトの面接用に準備した「ハンカチ」、そしてドンキホーテで買った携帯の充電器だけだった。だけれども、それを返さないといけない気がしていた。これを返さないと「本当に別れる」ということにはならないと、あのころの私はそう思っていた。
コウちゃんは、私の連絡を受けるとすぐに私の家に、とるに足らないものを取りに来た。コウちゃんは、いつもならインターホンを押しても何も言わなかったのけれど、このときは「あ、柴﨑です」と言った。携帯電話よりも、雑音が混じった音声で、いつか見た映画の無線通信のようだった。そうして、Uber Eatsと同じようにして、コウちゃんは玄関までやってきた。
ねぇ、コウちゃん? あの富士の湯の「回数券」まだあるんだけれどな。
あの銭湯ですら、ぽとり、ぽとりと、しっかりと締めたはずの蛇口から、お湯でも水でもない滴が垂れていた。私はどっちの蛇口を閉めたのだろう。そう思いながら、私は玄関の鍵を開けた。