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我々次第であるもの
以前、インシビリティについて書いたが、そのような行動を取る人らは、自分らが周りに悪い影響を与えているとは思っていない
企業の中枢にいる本社部門でさえ、誰かのことを「あいつ」と言ってみたり「それってヤバくない?」なんて言葉を平気でオフィスの中で口走る
しかも、ガラス1枚隔てた向こうには来社したお客様がいるかもしれないのにだ
もはや、それが本社の常識になっているのではないか?おかしく感じているのは私だけなのか?と思い悩む
私が思い悩んだところで何も変わらない
では、どうすればよいのだろうか?
最近、以下に紹介されている本を読んだ
研修講師としては、完全に逆向きの発想かもしれないが、結局教えたところで他人を完全にコントロールすることはできない
では、研修として彼/彼女らに何ができるのだろう?
まず、何が起きているのかを振り返ってみる
研修で学んだことがだんだんとできなくなるのはなぜ?
2023年の本社の新入社員は、私としては例年よりも濃い研修ができたと思っていた
コロナ禍では完全オンラインであったものを、昨年から対面研修を復活させ、実践重視のものに変更した
そのため、来客対応、電話応対、会議の進め方などをアウトプットさせ、評価するこちらから見ても、社会人として問題ないレベルに引き上げられたと思っていた
ところが、蓋を開けてみれば「ビジネスの場にふさわしくない言葉遣いをする」とか「納期を守れない」とか、社会人としての超基礎ができていないというフィードバックが本社の各部門からあった
正直な思いとしては、なぜ研修でできたことができなくなるのだろうという驚きがまず心に浮かんだ
そして、その原因を考えてみた
人間にとって、リスクを最小限にする行動
2023年に入ってきた新入社員が2年目になる
彼/彼女らは決して学習能力が低いわけではない
社会人としての超基礎ができていないというフィードバックが各部門からあったのだが、少なくとも今でも彼/彼女らは、私の前ではそういった片鱗を見せることはない
敬語も正しく使えるし、気も配れる
では、なぜそのようなフィードバックになるのだろうか?
おそらく「各部門にいる身近な先輩の真似をしている」のだと思われる
これは人間にとってリスクを最小限にする行動である
新入社員にとって、ビジネスで起こる様々なことは、初めて経験することが多い
その中で成功確率を上げるためには「真似る」ということが一番である
つまり、2023年の新卒がビジネスの超基礎ができていないというフィードバックは、そっくりその部門の若手ができていないということである
そう思って若手の2〜3年目を観察してみると、以下のような行動が見られる
納期に遅れが発生しても、上司からリマインドされなければ自ら報告してこない
休み時間にオフィスで横たわって寝ている
上司や先輩に挑戦的な態度をとる
敬語の使い方が正しくない
単純にふだん使用している言葉が汚い
空気が読めない
身近なロールモデルがそういったことをしているのだ
研修で学んだことは同調圧力の前に、見事に敗れるのである
活躍できているという大いなる勘違い
心理的安全性を確保すべきとか、会社が若手が成長できるフィールドを用意すべきだとか、褒めてやるべきだとか、そういった風潮がある
あえて、これに異を唱えたいと思うのだが、それらの本質を間違うと若手は成長するのではなく、自分は活躍できているという勘違いにいつまでも気づかないままとなる
当社ではルーチンワークだけでなく、答えのないミッションを若手に担当させることで成長させようという取り組みを行っているが、本質を見失っている
答えのないミッションだとすれば、会社が覚悟をもって失敗のリスクを背負うべき(=それが心理的安全性でもある)なのだが、リスクのない仕事を割り振っているのである
つまり失敗しようが、納期から遅れようが、会社にとって何の損害もない仕事ということだ
これはいくらだってフォローすれば成功に導くことができる
安全装置満載の最近の車を運転しているようなものだ。ところがこの安全装置が外れると、とたんに事故を起こすことになる
会社や上司が引いたレールの上でどれだけ踊れたとしても、レールがないところで止まるということは自ら先を切り開くことができないということだ
本社部門は顧客視点に立つべき
ある会議で本社管轄でない経営層から提言があった
「本社の人間は顧客視点に立っていない。当社の現場の最前線は厳しい顧客の要求につねに対峙している。一度失敗したら信頼はもろくも崩れ、それを回復するにはとてつもない労力がかかる。そういった危機感を本社の人間は持っているのか」
本社管轄の役員や部長が弁解する中、私は本社部門の一員だが、この提言にとてつもない納得感を持った
ワーカホリックと言われようが、職場にいるときは休憩時間を含めてそういった緊張感をもって仕事に当たるべきだと感じた
本社の顧客は社員であるし、その社員が対峙している取引先である。現場の最前線の社員よりも顧客に含まれる人の種類が多いはずである
本来は最も顧客視点に立たなければならないのは本社の社員のはずだ
満足する遊びの場を提供してるだけ
以上から「なぜ新卒社員が超基礎のビジネスマナーを実践できなくなるのか?」に答えを出すとすれば
超基礎のビジネスマナーを実践している身近な先輩がいない
中間管理職はハラスメントを恐れ(私のこちらの記事)厳しい指導をしない
中間管理職以上の上席は、若手の承認欲求を満たすために、リスクのないミッションに挑戦させて、成功に導いている
会社の中でそのようなことをするのが評価されるのだと学ぶ
それはインシビリティをしないことへの優先順位を下げる
そしてインシビリティを誰も止められない風土を生み出す
やるミッションはリスクがない、そしてやれば誰かが褒めてくれる、誰も厳しい指導はしない
ある一人の若手がこんなことを言っていた
「私の仕事のモチベーションは『かまってもらえる』ことです」
もう遊びは止めにしたい
「我々次第であるもの」が悩まないこと以上に与える示唆
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人間は生きるために、自らを成長させるプログラムを持っている。それは「フロー体験」と呼ばれるものである
こちらの記事にあるように、子どもはフロー体験の達人である。成長できずにやれることが少ないのは「退屈」である。
だが、社会人になるとスキルは低いのに難易度の高いものに挑戦しなければならなかったり、逆に難易度は低いがスキルが高い状態で、つまらない仕事を継続しなければならない場面もある
それらに直面するうちに、自らフロー体験を選択するということを忘れてしまい、悩んで他責にしてしまったり、成長を諦めてしまったりする
実は成長できないということは「成長エンジンが眠っている」状態であって、エンジンを動かせば多くの人が成長することはできるのではないか
だから、
まずは他責にしない(我々次第でないものに悩まない)こと
我々次第であるものの少なさに打ちのめされるかもしれないが、真正面にそれを捉えること
我々次第であるものを増やすために
フロー体験できるミッションを設定する条件で、自分ができることを増やしていくこと
自分が回りに影響を与えたり、動かしたりすること
3によって我々次第であるものが増えて、相対的に我々次第でないものが減る
我々次第でないものに悩まずに済む
このようなサイクルを回すことが成長である
研修ができることは何か?
これらの一連のことを思い返したとき、実は自分も受講生にとって退屈な研修をしていたのではないか?という思いになった
2023年の新卒研修は確かに実践型の研修であったが、「安全装置満載」「私が引いたレールの上を走らせる」、そんな研修であったと思う
何回も納期をリマインドしたり、できたことを褒めたり、質問されたことに納得できるまで答えたり、親切にしすぎたのだと思う
2024年の新入社員研修は実験的ではあるが
レールは最後まで引かない
理不尽と思える指導も遠慮しない
この2つのコンセプトにした。
この結果はまた観察したい。