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死にかけた 3回目

小学4年か5年生位のとある日曜日だったと思います。

当時のスーパーやお菓子屋さんで販売されていた飴袋の中には、1個だけ大玉の飴が入っているという商品が結構ありました。

家族の中で大玉を争う存在などおらず(姉はいるが大玉に興味がない)、大玉は100%の確率でぼくのもの(もはや大玉はぼくで、ぼくは大玉。なんじゃそりゃ)。飴袋を開けたら、1番に大玉の飴を口の中に放り込むのはぼくの特権でした。

その日も、オレが大玉だぜ。みたいなドヤ顔でコーラ味の大玉飴を口の中に放り込みました。自分を満足させるのに十分な優越感を獲得する儀式だったのです。

口の中で大玉が窮屈に転がり、永遠にコーラの味を味わえるかのような時間をまさしく味わっていました。

液体コーラが丸くぎゅっと固まった物体。ワタシの口の中は至福の時を迎えておりました。右の頬側へ、左の頬側へと口内全体でコーラを味わい楽しんでいました。

右頬と左頬の飴玉のキャッチボールが6回くらい続いていた時のことです。右頬だったか左頬だったか忘れましたが、どちらかの頬が口内暴投をしたのです。

もしかしたら、ぼくの舌が何らかの原因でキャッチボールの邪魔をしてしまったのかもしれません。

上手くキャッチすることが出来なかった大玉飴は、野球のキャッチボールで言えば近所の家の窓ガラスを割ってしまった状態でした。

そんなぼくの口内で起きた暴投で、キャッチ出来ずにエラーをしてしまったコーラ味の大玉飴は、な、な、なんとぉ~~

ぼくの喉にスッポリとハマってしまったのですぅ…。まさに、湯船の底フタのようにピタッとすぽっとです。

ぼくがこんな緊急事態の時に取った行動。それは…

なんとかして大玉飴を飲み込もうとしたのです。しかも直ぐに飲み込めないと分かると、更に強い力を込めて飲み込もうとしました。

いや~強引な行為というものは何時何事にも良くありません。大玉飴よりもぼくの喉の穴の方が大きければ、何ということもなかったのですが。

2、3回強引に飲み込もうとしたのですが、大玉飴の飲込みを繰り返す度に急速に苦しくなってゆくのですから、当然ぼくはパニック状態に陥りました。

子どもながらに、このままでと死ぬかもしれないという感覚がありました。

その時、ただならぬ異変に気がついた祖母と母と姉は、見る見るうちに顔がサツマイモみたいに紫色に変化していき、朦朧としてゆくぼくを、救命病棟24時のごとく絶妙なチームワークと迅速な処置で、ぼくの一命を取り留めてくれたのです。

姉は、ぼくの背中をスパンキングのようにバンバン叩き、祖母と母はぼくの頭を下向きにして大玉飴が出やすくなるように気道を作りましたが、いっこうに大玉飴は喉を塞いだままです。

そんな時、祖母か母かどちらだったか覚えておりませんが、口の中にグウォーっと手が突っ込まれて来たのです。

その瞬間、「オギャー」ではなく「オべエッ~」という擬音語とともに、「スポっ」とコーラ味の大玉飴が喉から飛び出して来たのです。

ぼくの命は、救命病棟24時の岸田チーム(祖母は櫻田姓ですが)に助けられたのです。

さすがに死んじゃうかもしれない。というか只ひたすら、息が出来ない!何で!?どうしたんだ!?と現状を把握出来ない不安でいっぱいだった気がします。

しかし、戦争を経験してきた祖母は冷静でした。いつも怒ると怖かった母も勇敢『母を「国会のおじさん(当時、国会議員はいつも怒鳴り合っていた)」と呼んでいた』でした。いつも優しい姉に、あんなに力があるとは思いませんでした。

ぼくの命を助けてくれた祖母はすでに他界してこの世にはいませんが、ぼくの心と細胞の中には祖母のパワーが継承されています。

祖母よ。ありがとう~。母よ、姉よ。ありがとう~。

もしも、ぼくが1人で家に居る時に大玉飴事件が起こったのならば、確実に窒息死していたことでしょう。息が出来なくて苦しんで死ぬのは辛い。

今、noteでこの記事を書けていることも、ココに居ることも、何度も死にかけてもまだ生かされている答えだと思います。だから、

生かされた命/時間を大切に使いながら、日日生きて行くことの中で感じたことを、星々でつながる全ての存在へ発信していきたいと思っています。

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