偉大なるティアーズオブザキングダムと避けられない瑕疵

 ゲームをする際、頭でわかっててもついやってしまうとある悪癖がある。
 そのゲームが楽しすぎるが故に、提示された目標に向かって最短最速最小経路で驀進してしまう悪癖が。
 するとその後のゲームバランスは、不思議な事に壊れてしまうのだ。いやあ、困った困った。

 だが、ここに例外が存在した。
 ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムは、この悪癖に真っ向から立ち向かい、余裕で耐えてきやがったのだった。

ティアキンを終えた諸感想(ネタバレ薄)

 ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムを、つい先日クリアする事が出来ました。
 クリア率は約6割で、やりたいこと、やっておきたいこと諸々をやってこのクリア率だったので、満足……と、いうか。完全にこの後は作業ゲーになっていってそこは別に長時間かけてティアキンでやることじゃないなと前から思っていたので、なるべくしてなったという感じで。
 自分はエンディングを見てしまうと酷い読了感に襲われて、余韻にひたりたくなってしまう人間なので(特にクリア後に追加が無いゲーム)、絶対エンディング後はやらなくなると思い祠巡りとか根巡りとか他諸々をやってからラスボスに挑んだけれど、判断は多分正解だったと噛みしめてます。

 前口上はこのぐらいにして、今回話したかった本題に移ります。ちなみにティアキンについてのネタバレは限りなく減らしてますが一切の情報を断ちたいなら非推奨(それならそもそもこれをみないのでは…?)
 前述の通り、自分はゲームを楽しもうとするあまり最短最速最小経路で突っ走った挙句、ゲームバランスを壊して薄味になりがちの悪癖があります。
 例を挙げてみれば、例えば真・女神転生Ⅰでやりたい悪魔合体があるあまりにレベルをとにかく上げて悪魔合体をして、その後しばらくバランスが壊れるような。
 いやなんでそんな事になるって、合体用に確保してる悪魔に枠を裂く期間が長くなるのを嫌って取り敢えずレベルをあげてこの枠を解放したいって気持ちになるから、取り敢えず四天王の館に行ってシビアなレベル上げをして悪魔合体したらそいつが強いのは勿論主人公のレベルも上がってゲームバランスを壊しがちになるっていうか。
 これはもうほんとに悪癖で、ドラゴンクエストモンスターズでAランク合体がしたくてDランクをずっと確保してるみたいなそういうことをやりがちで……。
 
 例え話で例え話を出してしまった。閑話休題。
 とにかくそんなような事をよくしてしまうのです。したい○○の為に、現段階では行けない・出来ない物事があった時に他の事を差し置いてそこまで至ってしまう。
 でももうこれはしょうがなくて、そんな細かい事を気にしてるより、驀進して貪る方が楽しいし気持ちいいのです。ゲームは快楽のためにあるはずなので。

 それをまあ当然のようにティアキンでもやりました。ここでこういうのが手に入るかも、って言われたり。あそこに行くとなんかあるよのあそこが明らかに遠い場所であったり。
 それを、やりました。やっちまいました。
 進行度とか全無視して、メインチャレンジとかも取り敢えず後回しにして、己が快楽のまま貪るように。
 するとどうなるか? 限定的な情報公開の中でやりたいと思った全てを終えてもなお、半分ぐらいの進行度で。

 ――そしてその時、ああこのゲームはどうやったら終わるんだろうかと、若干途方に暮れ、謎の敗北感を味わいましたとさ。おしまい。

 ……いや、本当にすごいゲームでしたよティアキン。やってもやっても終わらない。目標地点まで突っ走ってるのに全然進んでない。
 自分は限りなく目移りを少なくしてやってたのにこれで、じゃあ目移りしまくって気ままにやる人はどうなるのかと思うとゾッとするレベルのボリューム。地上も、地下も、天空も、行くところ見るところが多すぎて、詰まらなければ飽きたり心が折れたりしそうになるのをゲーム性で保たせている。
 まあ、網羅する直前でちょっと飽きたところはあって、万人にウケるのかな? 飽きちゃう人他にもいそうだな? と思うところもありましたが、これはずっと同じゲームをやってる時の自分の性でもあるので、あまり一般論に当てはめるのはよろしくないかと。
 そして一番感心したのは、各導線がブレワイとは異なったやり方でかなりちゃんとしている、というところでもあります。

 少しだけブレワイの話をします。ブレスオブザワイルドの導線の引き方は記憶を失ったリンクとプレイヤーを結び付けて、最低限の動きのチュートリアルとプロローグを提示したあとに、記憶を取り戻す為に見知らぬ大地を各巡るという行為をある種正当化されて自由に(ほっぽり出されて)できるといった必要最低限にとどめられている。まあ、多少のあそこ行ったほうがいいよここ行ってみたらなんてのもありますが。
 これは自由にどこまでも言っていいんだという膨大な自由度の提示でもありますが、逆に自由すぎるという情報量の多さは、時に人を苦しめる可能性も孕んでいます。「なんでもやっていい」とは、「なにをしていいかわからない」あるいは「どこまでやっていいかわからない」というのと表裏一体でもあります。

 これはもしかしたらの話であって断定するものではありませんが、ティアーズオブザキングダムにあたっては、そうした可能性を排除しにかかったのではないか、と私は思うのです。
 ティアキンでは、導線がかなりしっかりしています。やらないといけない事。行かないといけない事。行ける場所が増えた分だけ増えたそれらを導くために、最初に提示される最低限の情報は、ブレワイのそれと比較しても格段に増えています。
 では、何故そうなったのか。

 まず考えられるのは、主人公(リンク)の置かれた状況の違い。
 ブレワイでは記憶を失ったという設定から、何もかもが未知の状態で各地を周っていましたが、ティアキンでは違います。
 ティアキンはブレワイの続編です。主人公はぽっと出の誰かではなく、地続きのリンクと言う存在であり、一切の人間関係、社会から隔絶された存在ではありません。
 つまり、その関係が事前にあるところから話しておかなければ、「救国の騎士がこんなことになってるのに、誰も何もしてくれないの?」となってしまいます。(まあその辺は滅ぼしたり攫ったりで強引にしてる作品も無くはないですが)
 その辺りのリアリティ性。孤独だった前作と異なる、知り合いが多くいるという下地からそのようにした可能性。

 次に考えられるのは、新規プレイヤーと前作プレイヤーに向けた配慮の違い。
 前作(ブレワイ)プレイヤーは、どこに何があるのかまあまあ知ってます。あそこに何の種族がいて、とかいうのは大体わかります。
 しかし、ティアキンを買うのは全員が前作購入者ではないので、新規プレイヤ―にも説明が必要で、無ければ前作をやらなければ置いてけぼりになるのは火を見るよりも明らかです。
 その層に向けた世界観の下敷き、「ブレスオブザワイルド」という一つの世界の下敷きを伝えなければ、前作プレイヤーと最低限同じラインに立つことはままなりませんので。
 そして前作プレイヤーには逆に、「前と同じところに行くの?」という懸念を払拭する必要があり、導線はそれらにも引かなければなりません。
 これらのような、新旧プレイヤーに向けた可能性。

 これらのことから、ティアキンの導線は前作よりもしっかりと、なんならちょっと迂遠に最初に行ったらとおススメしてくれるぐらいに丁寧にされたのかもしれません。違うかもしれません。保証はしません。
 あとは単にストーリーラインが重視されたからかもしれません。前作は前述のように記憶喪失スタートから開拓する物語でしたので。

なんでもできてしまうことの瑕疵

 先に予防線を張っておくと、ティアキンは面白いゲームですし、あくまで個人の感想であることを留意してください。
 
 ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムは、ゲーム内で想定したことは大体なんでもやれます。それは恐らくやれないことを探す方が大変なぐらいには。
 この「なんでもやれる」ことは、各地を探索する道すがらに膨大な選択肢を与えます。
 壁の登り方、道の通り方、水の泳ぎ方、空の進み方。どれ一つとっても選択肢が足りない事は無く、技術か、知識か、資源か、あるいは時間さえあれば謎解きの為の祠に限らず、ありとあらゆる場所で自在に移動する事ができる。

 でも実際のところ! ……実際のところ、それってめんどくさくないですか?

 例えば高い壁のようなモノを提示され、それを試行錯誤して登るのは結構です。でもそれを何度もやる必要があるとしたら? 
 その度に時間をかけて、登るための試行錯誤をするのは面倒で、かといって道具を贅沢に使おうと思うのも、何度も登るのにそこまで潤沢な資源を用意しないといけない、あるいは消費と補填を前提としなければならなくて。
 はっきり言って資源も時間も使わずにサクッとやりたいのです。ゲーマーはセコいので、楽できる所は資源も時間もそれぞれ楽できたらなによりなのです。
 用意されてるのならそれに越したことはありません。空を飛ぶための道具があるのは嬉しいです。でも自力で飛ぶのは面倒です。たくさん使って飛んでも損した気分になります。
 他の資源を使えば楽できるかもしれません。でもそれだってもっといい使い道、使い時があって、こんなところで使いたくないという気持ちが後ろ髪を引っ張ります。
 そしてなんでもできるから、方法が他にあるから、そんなところで一々ゲーム側で用意しておくとは限らなくて。

 で、めんど~~って思いながら素で壁を登り始める。だめだこりゃ

 まあ、「そう思ったからそう思うでしょ?」みたいな話なので、理解してもらえるかどうかは怪しいですが、とにかくそういう事を考えたのです。
 過度な自由度は、意図的に導線を引かない(引けない)事となって、プレイヤー側の負担になる。
 だって現実をそっくり模したゲームなんて、面倒だらけでしょう?

おしまいに

 つらつらと文句のような、不満のような、いや~ここがよかったらな~と理解者ぶるようなものを書きました。書いててなんですが、理解されるかどうかかなり微妙だと思います。そして書きたいことは書けて、そのほかの話はネタバレ込みの話になって来るのでこの辺にします。
 一応無根拠に主観で書いたのではなく、プレイしている中で公式が何を想定していたかを見出して、その見出したのがだいぶ後半だったのでその後悔を共にぶち込みましたので、「それはあれすればいいじゃん」って思ったら多分それです。しあわせものめ。 
 おしまい。
 


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