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癒えた傷を描いて生きていく
こんにちは。今回はこちらの本です。
すりぃさん著の、「テレキャスタービーボーイ」です!
すりぃさんは音楽家で、自分でライブをやったり、ボーカロイドに歌わせる曲を作ったりしています。「テレキャスタービーボーイ」はそんなすりぃさんの代表曲です。
この曲の歌詞の背景を物語に落とし込んだ小説になっています。「カゲロウプロジェクト」に始まり、ボカロ曲が小説化するのはお得意の流れです。読んだことないけど。
この物語を一言で表すとすれば「アイデンティティに悩む男女が音楽を通じて分かり合い、自分を理解し前を向いて歩く力を手に入れる物語」です。
それでは、内容を見ていきましょう。
あらすじ
主人公は2人いて、高校2年生の風間楓月(かずき)くんと、専門学校2回生の花山飛鳥(あすか)ちゃんの2人が主要人物になっています。
楓月くんは気弱な性格で、女の子めいたものが好きなこともあり、クラスに馴染めておらず、中学からの理解者である女の子や家族を除いて、心を開けていません。高校の軽音部に所属しており、ベースを担当しています。
飛鳥の方は、保育の専門学校に通っており、そろそろ就職先を決めなければならない状態になっています。母親からは、結婚や就職などをして、いわゆる「普通」の生活をするようにと、それが幸せだと口うるさく言われており、これに辟易しています。楓月と同じ高校の軽音部に属していましたが、この影響もありしばらく音楽には触れていませんでした。
そんな2人は同じライブに偶然行ったことをきっかけに出会います。
性的マイノリティ
楓月も飛鳥も、性的マイノリティです。
楓月は趣味は女の子的で、その外見も相まって一見心まで女の子のようですが、恋愛対象はちゃんと女性です。クラスの男子には「男らしくない」と言われ、自分自身でも男らしく振る舞えないのが悔しくて、自信が持てません。
飛鳥の方は、性自認は女性ですが一切男性のことを好きになれません。母からは「彼氏はできないのか」「ちゃんと結婚して幸せになるように」と言われ続け、嫌気が指しています。
これは、「テレキャスタービーボーイ」のMVで出てくる男装をする女性、女装をする男性が世間からバツをくらい、価値観を押し付けられているような描写と重なっています。
人のことを知る過程で、ちょっと好きになれる自分を見つける
みんな、自分のことすらもわからなくて苦しんでいる。
だけど、誰かを理解しようとする。
だけど、誰かに理解して欲しいと思う。
その過程で、ちょっと好きになれる自分を見つけ出す。
1番最初のページに出てくる言葉で、帯にも引用されているので、この本の核となるメッセージと言えそうです。
ちなみに、各章のはじめに物語とは関係のない語りが入っていて、これはおそらく、すりぃさん自身の言葉なのだと私は受け止めています。これがまた響くんだ心に。
例えば、こんなのとか。
好きなことをするにはその何倍も、好きじゃないことをしなければならない。好きじゃないことをするには何十回も、自分を騙し続けないといけない。自分と向き合うということは何十回も、悩むことになるし、自分と向き合わないとその何倍も、後悔することになる。
そうして苦しんでいる人たちはたくさんいるけど、そんな苦しみさえも選べなかった人たちはもっとたくさんいる。やりたいこと、知りたいこと、なりたい自分。そんな好奇心や選択肢すらなかった大多数の人たちはその苦しみを羨ましく思うのだろうか。
青春とは、その真っ只中では気付けないからこそ青春であって、この苦しみを幸せなことだと思うにはまだ若すぎた。この苦味はいつか美味しく感じられるだろうか。
半ページにわたる文章でしたが、美しくて模写してしまいました。閑話休題。本題に戻りましょう。
過程はぜひ読んでみてほしいのですが、2人の主人公は音楽を通じて自身の問題と向き合い、自分自身を受け入れていきます。
自分のことや人の考えを知る過程で、「ちょっと好きになれる」自分を見つけ出していきます。これは自己の複雑性に悩む人にとっては、救いとなる考え方な気がします。
多様性がこの本のテーマにもなっているので、ちょっと多様性について考えてみましょう。
多様性とは?受け入れ合うには?
入れ子本紹介:「正欲」
多様性といえばなこの本。朝井リョウさん著の「正欲」です。
多様性の尊重が叫ばれるようになった現代に一石を投じる内容になっています。
この物語のなかで、こんな描写が出てきます。なお、この本はオーディオブックで聴いたので、正確な引用ができません。
・ある登場人物は特殊性癖(水が流れるのを見て興奮する)を持っていた。
・その人物は周囲には絶対理解されないと思い、それを誰にも言わず過ごしていますが、何も知らない人は距離を近づけにくく感じている。
・多様性に関心のある人物に歩み寄られるが、「ジェンダーとか、そういうレベルのマイノリティじゃない自分のことなど、理解できないくせに。」と鬱陶しさを感じている。
ガチのマイノリティから見たら、今の「多様性を尊重しよう!」みたいな言説はそこで言う「多様性」の枠に自分が含まれておらず、疎外感をより強く感じてしまうものなのだと・・・
「テレキャスタービーボーイ」で出てくるマイノリティが霞んでしまうどぎつさがあります。
しかし、「正欲」で突きつけられた難問への回答の一助に、「テレキャスタービーボーイ」の考え方がなれると僕は感じました。
他者と話すこと
「誰かを理解しようとする。誰かに理解してほしいと思う。」
その過程で話し合うことが必要なのです。
楓月がクラスの男子と勇気を出して話し合うシーンが描かれます。
楓月「僕は自分のことを男の子だって認識できていない。でお、それを言い訳にしている自分は卑怯だったってことには気がついた。僕は男らしく生きようなんて思ってないからって、いつも逃げていたんだ」
A「だろうな」
楓月「でも、Aくんが思う普通を、他人に押し付けるのは間違ってる」
A「は?(中略)わかったようなこと言いやがって」
楓月「うん。わからないよ。僕はAくんのことなんて全然知らないけど、Aくんも僕のことを全然知らない。ここでお互いのことを知ろうともせず、どちらも歩み寄ろうとしなかったら、この先ずっと価値観の押し付け合いになってしまう。(中略)そんなの僕は嫌だ」
こんな感じで、話し合っていくことで楓月はなんとか相手の理解を得ていきます。飛鳥の場合は、お母さんと腹を割って話し合います。
実は、「正欲」にも似たようなシーンがあります。
特殊性癖を持った青年と、その青年に関心がある女性が話し合うシーンで、
青年の方は、「お前に理解できるわけないだろ!」と突き放しますが、女性の方は「分かんないよ!理解できるかも分かんないけど、だから話してよ!」と食い下がります。
話し合うことができれば、理解できるかもしれないし、理解はできなくても、その人が傷つくことを避けるように行動できるかもしれません。
だから、話し合うことが大事なのだと思います。自分が知られたいときは、なるべく相手に伝わるように言葉を選ぶとか、自分が相手のことを知ろうとするときは、なるべく視野を広く持って相手を傷つけないように話し合うといった、双方の歩み寄りがあれば、それこそ価値観の押し付け合いが続くようなことはなくなっていくのではないでしょうか?
その話し合いが痛みを伴う可能性は十二分にあり得ます。でも、その先に、ちょっと好きになれる自分が、待っているかもしれません。
癒えた傷を描いて生きていく
すりぃさんの曲の中に「花とグラデーション」というのがあって、僕はこれが大好きです。
この曲の中にこんな歌詞があります。
いつか晴れるなんて 言えないけど
曇り空を今日は愛してやろう
少し楽になれば それで僕はいいから
癒えた傷を描き生きていこう
すりぃさんは自分の癒えた傷を、曲にしたり、こうして小説にしたりして描いていっているんだろうなと思って聴いています。
もしかしたら、この物語も、すりぃさんが体験し、乗り越えたことがベースにあるのかもしれないなと思いながら読みました。
そんなすりぃさんが作り出す曲や物語を、これからも1ファンとして見届けたいと思います。
今回は以上です。ありがとうございました!次回は全く違うテイストの本です!