9月23日の日記 『私ときどきレッサーパンダ』を観た
・映画『私ときどきレッサーパンダ』を観ました!
・映画『私ときどきレッサーパンダ』は、思春期の少女メイが主人公。中華系カナダ人のメイは優等生として快刀乱麻。母親の期待に一心に応えようとする一方で、おちゃらけた一面も。アイドルに熱を上げ部活動でハッスルするおちゃらけな一面を、母親には隠しています。
・メイは母親の強い抑圧から隠し事も多いけど、そういった弾けた一面をさらけ出せる3人の友達がいます。完全に親の言いなりになっているわけではなく、むしろ精神的には健全。彼女はその積極的かつ行動的な性格によって物語に親しみやすさを与えています。
・メイたち4人組はみんな明るくてふざけた性格です。彼女たちは愛情や性欲を隠さずに表現し、異性に対する興味も当然のように示します。
・彼女たちの存在はメイや物語に大きな影響を与えています。そして、非常にリアリティの高いキャラクターなので、視聴者には「自分の延長線上にいる存在」として共感を呼び起こします。
・特に、思春期の女の子たちの生意気な表情がとても可愛らしく描かれていました。レッサーパンダのデザインも非常に魅力的です。メイが変身したレッサーパンダは大きくて愛らしいですが、メイ自身は「くさい」「毛が生えている」と感じ、思春期の戸惑いをリアルに表現しています。この「もさもさ」具合が非常にリアルで、視聴者が共感できるポイントとなっています。
・↑↑Copilotに手伝ってもらいつつ書かせつつしたんだけど、なんか、noteにすると全然っすね。うわべのことしか書いてない。こんなしょうもないことを書きたくてAIに手伝ってもらったわけじゃないんだよ。だから以降は私が自分で書きます。
・なんかね。すごい映画だったよ。『私ときどきレッサーパンダ』。すごいと話には聞いてたんだけど、女子の性欲を思い切り刺激するアイドルが出てて「すごい」と思った。主人公のメイたちはこのアイドルのライブに行くために同級生相手に商売を始めるんだけど、アイドルって本当にそれくらいのパワーがあるよな……。ある。本当に。
・少年の性欲の強さはよく話題になるけど、少女だって性欲があるし、そのために悪いことを普通にします。って姿勢、よかった。女ってそういう貞淑さを求められがちだし、娯楽でも「悪いことなんか考えたこともありません」がちだから。『私ときどきレッサーパンダ』では「全然普通に男の子にヒューヒュー言うし店員をエロい目で見てます」って出てくるので、あ~自分のための映画だな~って感じでよかった。ふつうのことなんだよね。そういう当たり前の性欲があることを恥じないでいるキャラクターがいることって救いだわ。
・で、メイたち4人グループに意地悪をしてくる男の同級生がいる。ふつうのイヤなやつかと思いきや、こいつも同じアイドルのライブに来てて会場で会うの。そして女子たちと同じくアイドルを見た瞬間目を潤ませてメロメロリンになっちゃうというわけ。これもすごいね。少年が少年アイドルにメロメロになることって娯楽作品では「分かりにくい」ものと扱われてきたと思うんだけど、この映画では平気でメロメロになっちゃってた。きっと、そういう男の子たちに希望を与えたと思う。素晴らしいことです。
・あと、最後の方でママもレッサーパンダになっちゃうんだけど、これが怪獣ぐらいでかいの。メイは「大きめのクマ」くらいなもんだったから同級生と遊んだりチェキ撮ったりできたけど、ママはゴジラくらいデカくてマジ怖い。メイは巨大レッサーパンダ(ママ)にビックリし、「どうしてあんなに大きいの!?」「大きかったって言ったろ!?」「あんなに!?」ってパパとこんな会話してた。笑っちゃった。実家の寺を半壊させたとは言ってたけど、暴れまわって壊したとかじゃなくてサイズで半壊さしたんかい。
・デカすぎてライブ会場を破壊してたし、闇夜で光るレッサーパンダの目は狩人のそれだから、間違いなくゴジラ枠だった。
・あと、親類たちが封印されしレッサーパンダ(本当に封印されしレッサーパンダがいるんです)を解放する瞬間がアチアチだったな。リーダーの祖母の統率にしっかり従いつつ、各自それぞれが封印されたレッサーパンダの力を解放して親類を助けてた。作中のレッサーパンダ姿って「隠すべき獰猛な自分」でもあるんだけど、獰猛さを選び取れる主人公は決して特別な人じゃないって感じて、一人じゃないんだなって思えて、よかった。
・全編通して非常によい映画だった。観てよかった~。またこういうやつ観たいな。
・で、今日はこれを書いてて一日が終わった。なるほどね。
・そういえば、源氏物語を通しで読んだことがないので読もうと思ってる。モチベがないのでスペースかなんかでやるつもり。助けてください。
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