強制的ポジティブはいらない
人をネガティブにする三大ブランドは、暇、飢え、寒さだととあるエッセイで目にしました。
モラトリアム人間が自由なようで実は苦しめられている人が多いのがなんだか納得できます。
M-1グランプリでよくドキュメンタリーがありますが、普段あんだけ人を笑かしている人がとても苦しそうに生活している場面がよく見られます。
好きなことにしがみつくことは、端からみると楽しそうですが、当の本人は苦しいことが多かったりする場合もあると思います。
「ネガティブ」という感覚自体はもともと生物には備わっていて、ネガティブさがあるからこそ私たちは自分の身を守ることができます。
よく、ネガティブを消すにはポジティブシンキング!といわれますそれがなかなかハマらない方もいるのかなとおもいます。
強制的なポジティブをするには文脈を無視しないといけないと思います。
文脈を無視、とは、インプットとプロセスを無視するということです。
人間は「知覚行為循環」という本質的ないのちの仕組みに乗っかっております。
インプットした情報を脳みそが処理してアウトプットが出るという絶え間ない循環の中で私たちは生きています。
このときの、インプットというのはなにも調べたことととかだけでなくもっと幅広ーい範囲で今、周りで起こっていること、自分の体内で起こっていることなどのすべてです。
私たちは、出てきたアウトプットを変えることはできません。
noteは書き直しができますが・・・
思考、症状、パフォーマンスなど現実世界に一度表現したものはもちろん修正できません。
ネガティブ思考がドバドバ溢れて心が苦しいという瞬間もあると思います。
それは、自分のありとあらゆるインプットとプロセスによって統合された結果によるものです。
こう言った時に、「シャキッとせえ!」とか「ポジティブになれ!」とかいわれても困ったものですよね。
出てきた感情を自分ならまだしもさらに人から否定されてもっと辛くなるかもしれません。
アウトプットに対して、無理やりアウトプットを変えようとしているから、行き詰まったような感覚になるかもしれません。
大事なのは、出てきてしまったアウトプットをどうインプットするかだと思います。
個人的には
なぜ?を考えること(内部環境?外部環境?)
出てきたアウトプットは受け入れること
こういったことは大切だと思います。
さて、昨日の脚トレの筋肉痛でジムにいくのはかったるいと身体が言っているような気もしますが、インプットとプロセスを工夫して行きたくなるように頑張って仕向けるか、気合いでいくか、、、
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