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暮らしの変遷と東京大仏
旅行や引越しが決まると必ずしてしまう習慣がある。それは「その地名 仏像」で検索をすることだった。地域に根づく小さな石仏や、背の高い観音像など、姿や表情がさまざまでたのしい。
さいきん数年ぶりに都内へ移り住んだため、例にもれずご近所にあった寺院をいくつか散策した。自分と同じくらいか、かがむと目が合うくらいの像が多く、親しみを感じられるのだった。
しだいに、迫力のある大きな姿も見たくなってきた。そういえば「東京大仏」と呼ばれる像があったなと思い出す。ものすごく有名、というわけではないから、観光地化はされていないのかなと予想する。
何年か前に「宇都宮大仏」を拝観しに赴いたことがあったが、静かな住宅地のなかにぽつねんと座する大きな姿に、びっくりした覚えがある。自ら足を運んだというのに。
奈良・東大寺や、鎌倉・高徳院の大仏は拝観者、観光客が多いためか、勝手ながら近辺の土地まるごと特別な空間のように感じてしまう。そして、大仏を拝観するぞ、という意気込みのまま違和感なく対面できる。
その点、観光地化されていない場所にある大仏は、たとえ大きさや有名さは及ばずとも、生活色が濃い空間に存在するため、意表をつかれる。
それだけ、大仏が現れない街並みを、あたりまえに思っている自分がいるということであり、それはそれで、いちまつの寂しさがあるのだけれど。
***
板橋区にある成増駅に着くと、ぎゅっとチェーン店や小さなビルが立ち並んでいた。街路樹に誘導されて空を見上げると、青い絵の具を水で薄めたような色が広がっていた。
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徒歩20分ほどの距離なので、のんびり歩いていこうと安易に考えていた。
しかし、まあまあ坂道が多く、思いのほか長く感じる。さらには、字義通り、雲行きが怪しくなってきた。折りたたみ傘を持っていなかったため、降らないことを祈りながら進む。
祈りも虚しく、ぱらぱらと雨が降ってきて、次第にパラパラパラパラ(雨量増加)になってきた。
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あきらめて雨にうたれながら歩いていると、歩道のない道路に出た。大きな車が来ないことを願いつつ進んでいくと、目の前にぱっと更地が現れた。
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奥に、ちらりと寺院の本堂らしき頭がのぞいている。予想を超えて、暮らしの色が濃い。近づけば近づくほどに。
あと数分で到着と思われた場所にて、ようやく「東京大仏」の文字を発見。
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ゴミ捨て場のうえ、白いガードレールに、くくりつけられた手書きの看板。生活が濃縮している光景のなか、ぽつんと大仏の文字。
気づけば雨も止み、青空がのぞきはじめた頃、寺院の全貌が見えてきた。浄土宗、乗蓮寺。南門に立つ。向こうに大きな姿が在った。
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まずは手水舎にてお清め。背後には池があって、2羽の鴨が何かをついばんでいた。水面には、空や木々が反射して映っている。ときおり、大きな錦鯉が顔をのぞかせ、不規則に波紋をつくっていた。
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それから、大仏・阿弥陀如来像と対面した。合掌したあと、その姿を見上げる。まわりの木々や葉と一体になり、おごそかながらも柔らかい空気感を放っていた。
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寺院としての歴史は長く、青銅製の本大仏は、現在の地に移転した昭和に建立されたとのこと。境内には仏像だけでなく、鉄拐仙人(てっかいせんにん)という医薬の神様や、三途の川で衣服をはぎとる奪衣婆(だつえば)、七福神など、さまざまな石像があった。日本仏教ならではの世界観に没頭できる空間。
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昭和に移転した理由として、「高速道路の建設に伴う国道の拡幅工事のため」とあった。近現代ならでは、かつ、都市部らしさのある背景だと感じる。街並みは、人の暮らしによって刻々と変わっていくが、その中に存在するからこそ残る場合もあれば残らない場合もあるだろう。
この寺院は、残り続けてきた。どれだけ生活の豊かさが変わっても、地を移りながら残ってきた。しかも、大仏を建立するという発展を遂げながら。改めて考えると、すごいことだなと思う。
はじめのほうで、暮らしの中にあると「意表をつかれる」と表現した。しかし、よく考えれば、暮らしと仏像は、変わっていく速度のはやい都市部であっても「共存」して生きてきたのだと気づく。私が「意表を突かれた」のは、あくまで私自身がその土地に馴染んでいないからだと痛感した。暮らす方々にとっては当たり前の存在なのだろうなと思う。
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寺院は、仏像は、日本中いたるところで見かける。川や山、木々と同じように。人によって関心の濃度はあるだろう。しかし、その土地らしさや暮らしの一員として、人々の生活が移ろっても在り続けてほしいなと、雨雲の去った空を見ながら思うのだった。