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責任は自分にある。
マサイ族だったら全国制覇できたと思っている藤田です。
さて、今回は「信じた先の責任は自分にある。」というテーマでお話させていただきます。
まずは、下の記事やら動画やらを観て欲しいです。
https://mainichi.jp/articles/20200903/orc/00m/200/050000c?fbclid=IwAR3upALtlHUPSW_euFMCd9tJFC8xV1qFs3qsiScpA_pMFypWqsIhYq9rJiM
芦田愛菜さんが「信じること」とは何かというインタビューを受けて答えた記事です。(そういう系の撮影をしてるらしい。)
特に自分が考えさせられたのは、冒頭の「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。」
自分が相手を「信じていた」というよりかは、「可能性に期待していた」の方が近い。
可能性とは「未来の能力」に賭けていると捉えることができます。
「そんなんしか出来なかったのかよ。」とか「期待外れだわ。」とかの相手への不満に対しての思いは、相手からしたら的外れなのです。相手は勝手にあなたに信じられているから。
そうして、「信じること」は勝手な自分の思い込みによるものと考えた時に、本当に信じるべきなのは「自分」しかない。
相手を信じるのにも、自分を信じなければ始まりません。自分への投資が大切だ大切だと言われているのはそこに本質的な意味があるのです。
投資して、学んで、行動して、失敗して、反省して、成功して、また投資して…
自分に根拠のない自信を持つことはもちろん、結果や数字を出した上での経験から相手を信じれば、「裏切られる」とかも少なくなる。
だから、相手を信じて裏切られたり、期待外れのことをしたとしても、そこに対しての責任は自分にあるよねって考えるべきです。
自分は、「全ての責任は自分にある。」と考えているから、別に「信じる」ことだけが責任が自分にあるとは思ってませんが、ここまで話してきたことは全ての人に絶対に言えます。
そして、最後に。
マルモのおきての時はあんなに可愛かった子が(今は可愛くないとか言ってないからね)こうして社会に指差さされれば、自立の強さが大きくなるのだろうと感じる言葉でした。
環境も、自分も大切ですね。
ではまた!