言語/非言語コミュニケーション
私の記事では、中国伝統武術を用いて、個人が生き抜くため、明日死なないための所作、振る舞い、その術などを発信し、社会や日常生活に役立て、個人としての生き残り、伝統武術消滅の危機からの生き遺りをかけ、必要な人に必要とされることを幸いとし、テーマこそ壮大ですが、まったりとリラックスして書いて、読めるスタイルの記事を目途としています
冒頭でありますのは、武術そのものを表すもののひとつであります
言語では生きてる以上通常は概ね言語を用いて人と交流するわけですが、伝達手段とは言語だけにあらず、です
非言語では、何があるのか??
わかりやすく言えば『暴力』です
戦争などが一番わかりやすいのですが、これも言語を用いない『コミュニケーション』の部類です。相手に対し交渉が通じない場合にはそれを超える武力や暴力で屈服させようという単純な話です
法というのは人間ではないので、それを守ることで統治に成功しているわけで、これには誰も敵いませんが、法は起こってから対処されるものであります
要するに『自分の身は自分で守る』
必要があるというのは大昔から何も変わってないということです
非常に冷たい感じもあるのですが、今この瞬間や過去・未来を生きるのは自分自身以外いません。
他人との交流はありますが『自分がいないと他人はいない』わけです。つまり生きる必要があるわけです。
死にむかって生きているわけですが、予期もしない死やアクシデントを回避すべく、まさに武術を活かして生き残ろうではないかというわけです
何も物理的手段だけが武術ではありません。
ちなみに格闘技とはカテゴリーが違います。格闘技は『試合』でないと格闘技になり得ません。決められた位置と第3者が必要になります。
『自分が不利な状況では命をかけて避ける』
というのが武術であります。
さらには自分が有利な状況・状態を作り出し、徹底的に仕掛けるというのものです。
無理そうだと判断したら、逃げる、避けるというようなもので、弱者の考えと揶揄されそうなものですが
人間太古からそういった行動は『戦術』として用いられています。
『臆病』でなければ生き残れないというか、人間自体生まれてなかったのかもしれないわけです。
武術を用いるとは非常にシンプルなものです。ですので、また今後ここでその振る舞いなど書いていきたいと思います。
書いてはいたのですが、改めてこのような記事を書いてみました。
言語と非言語でのコミュニケーションのこのシンプルに2つで人間のコミュニケーションは千変万化します。この二つで一つな訳です。この理解を以て武術を用います。
言ってしまえば『人がいなくなれば何にも必要ない』ということです。
武術に限らずとも全てです
また言ってみれば
『武術はコミュニケーション』であることから日常にも密接で、かつ、叩く叩かないに限らず『どのように対処・対応しうるか』
ということとも言えます。これはどんな場面でも存在しうることと言えましょう。
上記のことを、誰でもできることでそれをここの記事で発信し、引いては伝統武術を用いて、電脳世界から、この文章を用いて、浸透を目論んでいる、という壮大な思惑もあります。
ということで、長くなりましたが、こんな感じです。
最後まで見ていただき、誠にありがとうございました。
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