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正々堂々か逃げるか
結論、武術を用いる、練習するものとして当然『逃げる』を選択します
正々堂々は武術としても兵法としても日常、社会生活の中でもあんまり必要ないものです
逃げる方がよっぽどいいわけです
○逃げるの意味
簡単な話、逃げる方が、早いというか態勢を整えるとか、機を伺うとかの意味合いがあります。正々堂々、いざ尋常に、なんてことをやるより、さらに自分に不利だけど変な正義感からやる、というのはことさら自分を追い込むだけです。それ以外存在しません。それでもいいなら行ってらっしゃいという感じですが、私が思うに正々堂々なんて今のイメージであることは昔はなかったのだと思います。
そんなことがまかり通っていたら戦略や戦術や戦法など兵法の技術はありえないはずです。
近代的な思想なきがしますが、それは置いといて、とかく『逃げるは恥』とか『逃げること』について非常に辛辣な意見やイメージはついて回るものです
私からすれば、武術的にみても『ただ引き時がわからない、できもしないのにプライドだけでなんとかやってる人、原理主義的思考、怖いだけ』としか見えません
退却は、戦争では非常に決断のいる戦術ですが、決断せずにうじうじ耐久戦をして無駄に兵力を失うよりよっぽど温存できますし、その情報も持ち帰ることもでき、さらには戦略と戦術を組み直すこともできます。
生きて、サバイバーとして、情報や、兵力を保つことができて、非常に有益です。死んで無駄に消耗するよりよっぽど素晴らしい判断です
これは実は何にでも考察できる話で、武術や兵法は日常やいついかなる時、個人の人生に密接するもので、限定的なものではありません。
日常でも誰でもシンプルに使えないものは使えません。誰がなんと言おうと、それが理ですので、そうでなければ現代まで伝えられてないわけです
○孫氏曰く、、、
ということでとかく逃げることを言及する輩もいますが、言ってしまえば『他に何にも知らない』だけです。具体性はほぼありません。
だってそうでしょう?その戦場に行ってもないのにその場の情報は知るわけないんですから。私からすれば『何言ってるのかよくわからない』です
好意があるのか、ただ言いたいだけなのかわかりませんが、その言葉にはリアルな情報はないわけです。あると言ってもあるわけないです、やってないんだから。やってもないのになんでわかるのか?全く理解できません。家にでかい水晶でもあるのでしょうか?それとも何本ものはしや竹でもあるのか?
その大昔、紀元前です。孫子は占いや何かに縋るような行為を良しとせず、徹底的になくし合理的に事を進めました。戦略上無駄でしかないからです。そんな大昔ですらそうなわけですから、現代でも全く同じです。
実際に見ていないのでわかりませんが、でも理解ができます。非常に納得がいくのです。
孫子の場合は『そもそも不利ならやるな』と逃げる以前のことを記述していたりします。非常にシンプルです。
というわけで、後ろ指刺されようと何しようと『自分がそうしたい、そうできる』と思うのであれば、逃げると揶揄されようといっこうに構わんわけです。それで後で成功してすごいねと寄ってくるなら、叩きのめすか優しく扱ってやるかも自分次第ですが。
○終わりに
自分の意思です。誰かはどうでもいい。自分でしか自分は導けない。そして誰かのために必要とされて役に立てれば幸いと思うくらいがちょうどいいのです。
ちなみに正々堂々とは少し違いますが、退却せずにそこで耐えるのは『自分が本当に死守する必要があるもの・突破されたら自軍に大きな影響がある場合』です。プライドとか生きてて何の役にも立たないものは関係ありません。
被害を甚大にしたくないので『逃げる』という戦術もそのひとつという事です。
今回はこれで以上になります。
ご拝読ありがとうございました。