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近所の日高屋と松屋が潰れた

今人類が求められているもの。それは無理な前進をやめておとなしく活動を停滞させることだと私は思う。

なぜなら某疫病のせいで、私たちは生活に制限をかけなくてはならない状況だからだ。沈みかけた船は完全に沈ませてしまうしかないのである。

タイトルにもあるように、さすがの日高屋と松屋だって潰れる世界だ。あの日高屋と松屋だぞ。

先日、所属していたボランティア団体の後輩から「コロナで何もできない、でもこのままではダメな気がする。どうしたらいいですか」と相談がきた。

常日頃から相談事に対して「泣け」または「寝ろ」および「殺せ」の3つしか言わない私に相談するぐらいなので、相当まいっているなと思った。

はなしを聞いている限り、やれることはやりつくしたようだった。あとは自分で「疲弊していること」と「停滞するしかない」ことに気がつくしかない。

そう、疫病によって疲弊しているのである。生活に制限をかけているのに、「逆境を乗り越えろ」だなんてことを国を挙げてやっちまってるものだから、そりゃ死にたいと願う人も増える。

かくいう私も疫病のせいで描いていた人生設計を大きく狂わされた。

ただ、単純な被害者であるつもりもない。死んだ方がましと考えたことは嫌というほどあったが、いじめっこはいじめられっこの反応を見て楽しむものである。だから私は無理に抗わず、そして穏やかに「ふーん、まあいいでしょう」と言って液体のように、地球の求める形に成るだけだ。

なぜならあの日高屋と松屋が潰れたからである。私一人で「いっちょやったりますか」と言ったって、相手はあの日高屋と松屋をいじめきってしまった。絶対に勝てないことは疑う余地もない事実である。

だから私は今日も勉強もせず、働きもせず、ただ日が昇り沈んでゆくのを窓から眺めている。

なので誰かお金ください。

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