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青の近くにいたい

フットサルで骨折をしてしまったので、2024年の終わりは安静にしていた。具体的には、アニメをたくさん観た。

AmazonやNetflixの「トップ10」みたいなところから辿り、とりあえず興味がありそうなものを観てみる。

すると、物語の主人公は中学生から高校生、大学生が多いことに気づいた。
中でも、高校生が一番多いかもしれない。

「青春だよな〜」と思いながらガンガン視聴し続けていると、作品の題名やOP/ED曲の題名に「青(アオ/ブルー)」が入っているものがある。

青ってなんだろうか。

青探求

青からは、何が連想されるのだろうか。

蒼 碧 藍 群青 水色
水 海 空 
ドラえもん サムライブルー サファイア
ブルーハワイ 青リンゴ
オオイヌノフグリ ツユクサ
ローソン ファミリーマート ANA
Facebook Zoom App Store Safari
京浜東北線 横須賀線 信号の青 火星の夕焼け
青春 青年 青二才 青田刈り
青い鳥 夏
冷たい 涼しい 寒色 瑞々しい 
光の三原色 プレゼンで落ち着く色

Copilotとのブレストより抜粋

まあまあ意味が広いなという印象を受けつつも、思ったほど挙げられない。

そこで、辞書的な意味もおさえてから引き続き青探求を進めると、単純な光の波長の話もあれば、青という言葉の歴史、青に関する美術・文学作品なども出てきた。分野や時間軸の広がりがあって、面白い。

その中で先に述べた自分の心に留まった青とは、「青春」と「青い鳥」の青ではないかと思う。

しかし、学生や若者の特権であるような感じもするし、歳をとるにつれ離れていくような感覚もある。

青はどこへ消えてしまうのだろうか。

青いシーン

消えてしまった(ように見える)年代よりも、分かりやすく青々しいところから探索したい。

実は、年の瀬にはアニメ安静をしつつも、1年間では数多くの学校に足を運び、1000人以上の小学生・中学生・高校生・大学生に出会ってきた。

発表を聞いたり、対話をしたり、ただ教室内を観察したりしているといろんなシーンが心に残る。

ジブリの作品に出てくる食べ物がいかに美味しそうに見えるかについて楽しそうに語っていた子もいた。
中国の建築物への愛を、実際にタブレットで描きながら表現している子もいた。

好きなゲームについて熱弁している子もいれば、心について素朴に考えている子もいた。
授業中にお腹が鳴ることについて課題感を持ち解決策を考えている子もいれば、より楽しい推し活ができるようなワクワク新商品を考えている子もいた。

また、グループで自分の意見が取り入れられず拗ねている子もいた。
とりあえず奇抜なアイディアを言うことで目立ちたがっているように見える子もいた。あるいは寝ている子もいたし、落書きしている子もいた。

部活の引退試合で負けて泣いている子もいたし、どうしても勝ちたかった相手に勝って泣いている子もいた。

これらは、大人から見たら、もしかしたら未熟なのかもしれないし、甘いのかもしれない。(ちなみに、私個人には、素晴らしいアイディアや学びがたくさんあるように見えている。)

ただ、単純な良し悪しの判断を保留し一旦受け止めると、これらすべてのシーンに、何らかの願いや肯定的な意図があるように感じる。

青の条件

青の意味とこのようなシーンたちを統合すると、「未熟さを抱えつつも、何かを願うところに青があるのではないか」と言いたい。

けれども、これは歳をとると消えてしまうものなのだろうか。冒頭の私みたいに「青春だよな〜」と距離をとっていくものなのだろうか。

いや、本当は誰しもが何歳になっても、未熟さを背負っているはずで、願いを持っているはずではないだろうか。

そういったレンズで自分や他者を見てみたいし、そういった意識を持って耳を澄ませたい。そうしたら、世界は結構、青いのではないかと思えてくる。

濁って澄んで

青は濁ってしまうこともあるように思える。

貧困や格差、心身の健康、家庭・学校・職場の人間関係、将来への不安などが関わっていそうだ。コロナや災害、戦争時などといった大きな出来事には、もちろん大きな影響を受けるだろう。

そのための対策としては、平和やインフラ基盤はもちろんのこと、医療や福祉も大事であることは言うまでもない。一方で私自身は、日常の中に小さなケアがたくさんあることも推したい。東畑さんの「新型コロナは心にどう影響したのか」で説明されているケアの感覚である。

つまり、コロナは私たちから一体何を奪っていったのでしょうか。
これを私は人と人との間で交わされていた「ケア」だと考えています。ケアとは相手のニーズを満たすことを言いますが、体を同じ場所に置いておけた頃、ケアは私たちの間でこまめに交わされていました。たとえば、あの不仲の両親は職場で雑談をしたり、飲み会に行ったりすることで、ケアされていました。外でケアを得ることで、家庭をギリギリのところで保っていたのです。彼もそうです。教室で授業を受けていると、わからないところは友人が教えてくれたし、廊下で心配した教師から声をかけてもらえることもありました。そういうケアがあることで、かろうじて授業についていくことが可能になっていました。

「新型コロナは心にどう影響したのか~奪われたケアについて~」東畑開人

生活の中でケアを交わし合うことで、濁っても澄んでいく青がある。

私自身は、青を強く感じられるような場所に身を置くと、忙しないけれど、高揚感を感じられる。これからも青の近くにいたいし、濁っても澄んでいけるような場作りや仕組み作りに関わっていたい。

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