【自己紹介代わりの】どうして大阪大学教職課程が好きなのか
どうもこんにちは。
春、新入生が大勢入ってきます。大阪大学で教職を取るか取らないか、迷っている人には「絶対取っとこう!」というアドバイスをします。なぜ私はそういう風に言うんだろうと考えると、なかなか難しいです。
どうして私は大阪大学教職課程が好きなのか。
ひとことで言うと「楽しいから!」になるけど…。うーん。
この記事では、3つに分けて好きなポイントを書いてみます。ある種この記事が、私の自己紹介代わりになるかもしれません。
1.地域密着の現場主義
まず、地域と密着していること。阪大教職は「現場主義!」です。学部1回生で大阪の学校現場へ行き、草刈りや電球交換なんかをする実習があるなんて、他の大学では考えられません。実習先でお会いした近畿大学の先輩がびっくりされていました。
教員にも長年大阪の学校で働いてきた本職の先生方、現高校教員・元高校教員が多くいらっしゃり、理論と並行してどこよりも本物の実践に接せられます。大阪の特定の学校のナマの教育課題にふれられる(ある意味ショックだったり、考えさせられたり)って、人によっては一生ものの経験になります。私が大阪の教員の教育研究集会へたまに参加するのは、何か気づきを得に行くためです。
行こうと思えば、さらに実際の教育現場に踏み込むチャンネルもいくつかあります。教職から生まれた高大連携教育団体SUITがそうですね。
関西の演劇人にコミュニケーション技法を学ぶ科目など、ユニークな科目も盛りだくさんです。
2.豊かな人的交流
次に、豊かな人的交流。教職学生は学部のワクを超えて圧倒的に仲がいいです。授業外で遊びに行くといったことが何回あったか。私が個人的にご飯へ行ったり、遊びに行ったりする人の半分近くは教職の人です。
平日夕方から夜にかけての授業帯を一緒に受けている人どうしが仲良くなるこの感じ、さながら「部活」。
新入生がオンライン化で孤立している現状、「オンライン交流会でつながりを作ってあげよう」と上級生がわいわいと集まってサポートする活動も継続中です。去年のときは声をかけると30人の上級生が結集してくれました。
そうした活動は、教員も見守ってくれます。その空気感は、阪大教職学生や教員がここまで作ってきた所産です。
「どうやれば成功する?」「いつ、だれに声をかけよう?」
いわば教職課程におけるすべての経験が、優れた先生になるための感性を磨く、人と人とのリアルな関わり合いの場数となっています。
3.リベラルアーツとしての教職
あとはやっぱりこれですね。リベラルアーツ(一般教養)としての教職。
すなわち、「先生にならなくても活きる」のが大阪大学の教職です。
教育という、理系から文系まで分野横断的な切り口のアングルからものを見る習慣を1つ手に入れるだけで、社会の見え方はけっこう変わります。そしてそれを、やはり理系から文系まで学部のワクを超えた学生どうしで刺激しあいながら体験できる。ほかに代えがたい貴重な経験です。先生にならなくても、どんな生き方をするとしても、必ず活きる。
かくいう私も教員志望というわけではありません。最初から今まで、一貫してそうです。(と言っていて卒業までの途中で教員志望になるのかもしれませんが・・・。)
阪大教職には大してお金はないようですが、そのぶん地域・市民社会に根差しながら、知恵と人どうしのつながりで、体を使って泥臭く、仲よく学び合っていく雰囲気という宝物があります。教員志望でない私がここまでハマれる阪大の教職課程は、総合大学という強みも手伝って、ひとつのリベラルアーツになっているのです。
どうかなー。言葉にするとちょっとカタくなりますが、上記1~3のうちの1つでも気になる人には、教職は天国になるかもしれません。
私の場合、阪大教職で出会った人とのつながりを端緒に、阪大生が伝統的に活性化に関わっている石橋商店街で遊ぶようになったり、阪大が復興支援からまちづくりまでに参加している愛媛県西予市野村地域で遊ぶようになったりしました。こういう「ひろがり」があるのも、大学のいいところ。
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