スマホ見てさがすバーチャルハロウィンか
季語:ハロウィン:晩秋(掲載されていない歳時記も多い)
すまほみてさがすばーちゃるはろうぃんか
スマホで流行るバーチャルゲーム
「Pokémon GO(ポケモンゴー)」というスマホゲームがある。数年前だがニュースで話題になったので、記憶にある方も少なくないと思う。現実の街中にGPSを利用してポケモンの存在する場所を設定し、ユーザーはスマホ画面を見ながら現実の街中でポケモンを探して捕まえるゲームだ。位置だけでなく現実の天候とも連動しており、特定の天気でないと現れないポケモンも存在する。
最近は類似のゲームとしてドラクエウォークというものもブームになっている。ファミコン時代からの人気ゲーム「ドラゴンクエスト」の世界観で遊べることで注目を集めた。スマホを持って街中を歩き回ることで、アプリ内のキャラクターが架空のマップを冒険し、時にモンスターと遭遇したり、宝箱をみつけたりする。
このような現実世界でユーザーが起こした行動が、スマホアプリ内のイベントと連動するバーチャル(仮想現実)ゲームが、かなり人気のようだ。
今日見かけた中学生たち
ウォーキング途中でスマホを見ながら、何やら相談している3人の中学生くらいの男の子を見かけた。何をしているのか、いぶかりながら様子をみていると3人のうちひとりが駆け出して、1本先の路地に入っていった。
仲間を大きく手招きしている。どうやら目当ての「何か」を見つけたようだ。
側から見ていると何をしているのか、ほとんど想像できない。わたしもしばし思案の後、バーチャルゲームだろうと検討をつけた。
今多くのゲームでは、ハロウィンイベントが開催されている。彼らが遊んでいたゲームでもハロウィン限定キャラクターかアイテムが隠されていたのかもしれない。
スマホ見てさがすバーチャルハロウィンか
そこで本日の一句へ繋がる。「見てさがす」くらいは過去の俳人でも意味が通じるかもしれない。現代語なので古語とは活用が異なるかもしれないが、察するくらいはできるだろう。芭蕉はムリでも子規なら割と最近の方である。俳句に口語を使うとはけしからん、とお怒りになるかもしれないが。
それ以上に謎になるのが、スマホ、バーチャル、ハロウィンである。現代の俳人でもお年を召した方だと意味が通じないかもしれない。
40代、50代くらいの方なら特に難解な句ではあるまい。なかなか日本に定着しなかったハロウィンもようやく年中行事のひとつになりつつある。クリスマスやバレンタインは既に季語扱いされている。ハロウィンはまだグレーゾーンといったところだが、近い将来歳時記に掲載されるようになるだろう。
俳句は季語を主役にすえ、生活や自然の営みの感動を切り取る文芸である。ハロウィンを季語とするのはあり、としても季節感をバーチャル空間に求めるのはいかがなものか。
未来の生活環境を見据えた俳句のあり方
バーチャルリアリティの技術はどんどん進化を遂げている。専用ゴーグルを使い、自分の周囲が全て別世界に感じられるゲームやシミュレーターも登場している。今はごく一部の層で利用されている技術だが、一般家庭に浸透するのもそう遠くない将来だとわたしは思う。
そのような時代に俳句はどうあるべきか。季節感は現実世界よりも仮想現実で実感することが多くなるかもしれない。
技術の進歩や生活環境と芸術は無関係ではない、とわたしは思う。わたしは古語や旧仮名づかいに縛られない、現代語俳句という新しい俳句に大きな魅力を感じている。さらに古語、仮名づかいだけでなく生活をとりまく環境に結びついてこそ、現代語俳句の未来が切り開かれるのでないか。
新しい生活様式や言葉づかい、行事、習慣を取り入れず、古くからの伝統だけを遵守して作る俳句こそ、むしろ江戸時代を模した仮想現実にしか存在できないものになってしまう。
だからこそ、現代語俳句は積極的に創造していかねばならないのだ。
カバー写真は塗り絵のドラえもんと現実風景を合成して撮影できる、というお菓子のおまけで撮影したもの。もう数年前のものですがなぜか保存してました。
ちょっと理屈っぽい話題になりました。最後までおつきあいいただいたこと感謝します。スキ・フォローはもちろん俳句のあり方についてのご意見などもお聞かせいただけると嬉しく思います。
そもそも芸術とは、美とは、という原点を学ぶのにおすすめの書籍です。