映画『洗骨』観てきました
この作品について、僕の関心ごとは次のとおり。
・洗骨という風習について
・故人と残された家族の描写
監督(ガレッジセールのゴリさん)が沖縄タイムズのインタビューで「洗骨という文化をハートフルなコメディーとして仕上げたかった」と答えています。
そのとおり、さすが一流のお笑い芸人さんであるからこそのコメディー要素が作品に重要な役割を与えていたと思います。
特に、鈴木Q太郎さん(以下Qちゃん)がすごくいい役割をしていました。笑
観客の代わりに映画の中に居てくれている感じ。
これどうなってるの?みたいな観客のふとした疑問を彼が代わりに他の登場人物に聞いてくれたり、シリアスになり過ぎない(泣かせ過ぎない)よう随所で笑いをもたらしてくれる、非常に良いバランスを映画全体に持たせてくれていたような気がします。
これによって、監督が“死”を作品のテーマとして扱いながらも、観客に柔らかく、緊張感をほぐしながら大事なメッセージを届けてくれていたのではないでしょうか。
さてさて。
まず、洗骨について思ったこと。
現代日本で人が亡くなるとほぼ100%火葬によって遺体は供養されます。
が、100%ではない理由として当作品が描いているような葬送方法が今もなおどこかの地域に残っているという事実。
劇中でQちゃんが「ここ日本なの?」という主旨のことを言っていましたが(このセリフは決して単純なものではなくて、日本の文化的許容範囲の狭さといいますか、全国各地にある民俗的風俗・風習が現代日本にとってどれだけ重要で価値のあるものなのかということをもっと議論しなければならないということを暗に意味しているなと捉えましたが…)、私たちが当たり前と思っているいわゆる文化や風習的なものを今一度見つめ直すキッカケになるものだったと思います。
前置きが長くなりましたが。
映画を観て、ご遺骨の大切さについて火葬場に勤めるイチ職員として改めて考えさせられました。
火葬の場合、柩が火葬炉に収められてから約1時間ほどで遺体は骨になってしまいます。
火葬炉の性能によって異なりますが、火葬された遺骨はバラバラになり、理科室にあるような骨格標本のような形で遺骨が出てくることはありません。
まさに灰のようになってしまった故人を見たとき、家族はどう思うのでしょうか。
悲しいに決まってますよね。。
さっきまで肉体とともにあった遺体が、ですよ。
映画ではかなりリアルに洗骨のシーンを再現していることとは思いますが、骨になった亡骸を親族たちが大切に洗って拭いて再び棺に納めるシーンを観て、怖いなという感情は一切なく、純粋にとても美しい風習だなと思いました。
普段から私たちの仕事ではご遺体の尊厳ということをとても意識していますが、これに勝るものはないのではないかとさえ思いました。
余談ですが…火葬場に勤めていながら火葬ではない別の葬送方法について、これから選択肢が増えていくのではないか。なんてことも考えましたねぇ。
そして故人と、故人の死を受け入れなければならない残された家族について。
妻を亡くした夫役の奥田瑛二さんの演技力はいうまでもなく素晴らしいのですが、おそらく、故人を取り巻く人々の心の動きって、本作のようなフィクション以上にフィクションであるのかなと思っています。
どういうことかっていうと(笑)、信じられないようなことが、まるでドラマのように起こるのだ、ということなんですが。
究極は後追い自殺、なんてことがありますが、本作で奥田瑛二さん演じる夫が妻の死後生気をまったく失ってしまい、生活が堕落していく様子。
これはこれからの多死社会において、どんどん顕在化してくる問題であると感じています。
故人に身寄りがなく、火葬場にすら誰もこない、葬儀社の方が火葬に立ち会い、骨上げされた遺骨を抱きかかえて帰っていく姿は実は日常的で珍しいことではないのでして。
このような状況はまさに家族同士のつながりが弱くなっていることを現しているのでありますが、では誰が遺族の悲しみをケアしていくのかなということを、社会として考えていかなければ非常にまずい時代になってきていると思います。
火葬場として、火葬場の職員としてはもちろん、今後個人として取り組んでいきたいなと思っています。
多分そんな重い話ではなく、いかにこの非日常的な話題を日常に近づけることができるのかなってことだと思うのですよ。
頑張ります。
沖縄タイムズのインタビュー記事はこちら。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/345592
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